では、それがなぜ今の形になったのか。菓子業界的に「通説」になっているのは、冷蔵庫の普及だ。「三種の神器」と言われた冷蔵庫はまだバタークリームケーキが幅をきかせていた時代、サラリーマンの月給の10カ月分という、今の高級外車のような扱いだった。
それが1960年代に入ると一気に消費者の間に普及したことで、これまでは保存的にも難しかった生クリームケーキも普及し、クリスマス商戦でもシェアを占めるようになったというのだ。
なるほど、確かに理にかなっていると思う半面、このストーリーにはちょっとひっかかる。冷凍という保存方法を獲得した消費者がすすんで「生クリーム」を望み、それに応える形でメーカー側が商品を生み出した、みたいな「美談」にしようという作為が感じられるからだ。
歴史を振り返れば、バタークリームケーキが衰退し、生クリームケーキが台頭した背景には、消費者の嗜好より、供給者側の「都合」が関係していたのは明らかだ。
それはバター不足だ。
以前のコラムでも触れたが、戦前・戦後を通じてバターが高価だった日本では、その代用品である「人造バター」が庶民の間に大いに流通した(関連記事)。不二家がクリスマスセールをスタートした翌年には「マーガリン」と呼称を変え、本家に迫る勢いでシェアを広げていた。
そんなバター入手が困難な時代、いくらクリスマスで飛ぶように売れるからといって、バタークリームケーキビジネスにそれほど旨味があるとは思えない。大衆に手が届く価格を維持する以上、原価が上がれば当然、儲(もう)けは少なくなるからだ。その証に、この時代は高価なバターの代わりにショートニングや粉砂糖を用いた「偽バターケーキ」が巷にあふれていた。
高価なバターより、安い生乳からつくられる生クリームを使うケーキのほうが安上がりなのは言うまでもない。現代にも通じるバター不足による価格高騰によって、クリスマスケーキは生クリーム仕様へ移行していった可能性が高いのだ。
もちろん、単なるコストだけではなく、生クリームに「商機」があったということも言える。ちょうど不二家が「クリスマスバターケーキ」を売り出したのと時を同じくして、日本人が度肝を抜いた斬新なスイーツが日本に上陸をしている。「ソフトクリーム」だ。
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