先ほど述べたクリスマスセールで売られた不二家のケーキをはじめ、1950年代のクリスマスケーキは、栗やチェリーなどがトッピングされるのが主流だった。
それがなぜ苺にとって変わったのかというと、「赤と白でクリスマスっぽい」からではない。流通側のプッシュがあったのだ。
実は1959年ごろから「ハウス栽培」が普及し始めた。これによって、夏の果物で傷みやすい苺がクリスマスシーズンでも流通することとなり、生産者側が「冬にも苺を食べよう」という一大キャンペーンを展開していく。クリスマスケーキ業界は、それにまんまと相乗りさせてもらったというわけだ。
つまり、「苺と生クリームがのっかったデコレーションケーキ」というのは、クリスマスケーキの仕掛人である不二家が生み出したわけでもなく、さまざまな供給者側の大人の事情が複雑にからみあって生み出されたものなのだ。
実はこれと全く同じ構造が、「土用丑の日」だ。夏の暑い盛りにうなぎを食べると精がつくという俗説は、夏に客足が少ない鰻屋の相談にのった、平賀源内が考案したという説が有力だ。
そう聞くと、「江戸時代の鰻屋にも販売戦略があったんだ」なんて感心する方も多いが、実はこれも不二家と同様で、製造コストや生産者の都合によるところが大きい。当時、鰻漁のシーズンは5月〜12月だったが、なかでも水量が増える夏によく獲れた。当然、鰻屋も夏に仕入れが多かった。
鰻は夏よりも冬のほうが味は格段に良いのだが、生産者と供給者の都合を優先して、夏のプロモーションを仕掛ける必要があったというわけだ。
最初は「供給者側の都合」で食べさせられていたモノが、不思議なもので長い時間慣らされているうちにいつの間にやら、「やっぱクリスマスにはこれがないとね」となる。
われわれの食卓には、「大人の事情」で「食べさせられているモノ」があふれているのだ。
テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者、月刊誌編集者を経て現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌へ寄稿する傍ら、報道対策アドバイザーとしても活動。これまで100件以上の広報コンサルティングやメディアトレーニング(取材対応トレーニング)を行う。
著書は日本の政治や企業の広報戦略をテーマにした『スピンドクター "モミ消しのプロ"が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)など。『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。
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