何が起きていたのか? 清原和博容疑者が古巣・巨人を「震撼」させていた赤坂8丁目発 スポーツ246(4/5 ページ)

» 2016年02月18日 08時00分 公開
[臼北信行ITmedia]

「ハイタッチ拒否事件」の一部始終

男道』(幻冬舎文庫)

 2004年のシーズン終了後には堀内監督がムード悪化の元凶となっていた清原を構想外とし、他球団へのトレード放出を試みた。だが契約を1年残している清原が球団事務所に直接乗り込んで「編成権は監督にあるのか、フロントにあるのか」と直談判。事前に清原は懇意にしていた一部朝刊スポーツ紙に当時の滝鼻卓雄オーナーへ直談判することを裏情報として流しており、その当日に一面掲載させる用意周到ぶりを見せていた。

 大々的にアドバルーンをぶち上げることでファンの同情を買う狙いは、まんまと成功。清原は堀内監督だけでなくフロント幹部も同調していたはずの自らのトレード話を急転直下で撤回させた。

 こうしたゴタゴタがありながらも居残ったことで、その後の清原はますます巨人にとって手が付けられない「番長」となっていく。200万円以上もするダイヤのピアスを両耳につけて試合に臨んだだけでなく、「全身にタトゥーを入れたいんや」とも漏らして周囲をあ然とさせた。

 2005年8月4日に広島市民球場で行われた広島戦では前代未聞の騒動も引き起こす。試合前に打順が7番であることを当時の山本功児ヘッドコーチから伝えられた清原は納得せずに激怒。ベンチでおもむろに携帯電話をかけながら、受話器の向こうの相手に「今日な、7番やで! 7番! 阿部(慎之助捕手)より下や!」とこれ見よがしに記者の眼前で叫んだ。

 そして試合では4回に本塁打を放ち、ベンチ前で迎えた堀内監督や選手、コーチの出迎えを“完全スルー”。これが、あの「ハイタッチ拒否事件」の一部始終だ。ちなみに、この時の清原は球団広報を通じて「怒りの一発や!」とのコメントを口にしている。チームは崩壊の一途をたどっていった。

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