ガリガリ君とカップヌードル「攻めたCM」の命運を分けたものはなにかスピン経済の歩き方(4/5 ページ)

» 2016年04月12日 08時05分 公開
[窪田順生ITmedia]

日清のCMは失敗だったのか

 これと対照的に「作為」を隠さないのが、「カップヌードル」だ。日清食品ホールディングスの安藤宏基社長・CEOは2015年11月4日の『日経トレンディ』で、自社のブランドマネージャーには、「話題が広がるシナリオが書けるセンス」を求めているとして、その理由をこのように語っている。

 重視しているのはSNSでの反応です。ここで話題になれば、テレビCMを打っていたときよりも、売れ行きが3〜5倍跳ね上がります。昨年の「トムヤムクンヌードル」のように、生産が追い付かなくなるほどです。

 これを踏まえれば、矢口さんの起用も納得ではないだろうか。彼女が「しくじり先生」的な教訓を語れば、厳しい批判も含めて「話題が広がる」のは目に見えているからだ。

 だが、このような「拡散してください」という企業側の「作為」が、ベッキーさんの清楚風ファッションや、乙武さんの政治家風謝罪コメントと同様の、「わざとらしさ」に対する嫌悪感を引き起こしてしまった可能性は否めない。これは「わざとらしさ」を極力排除する「ガリガリ君」と180度真逆の反応である。

 そう聞くと、「カップヌードル」のCMにダメ出しをしているように聞こえるかもしれないが、そんなことはない。どちらが良い悪いという話ではなく、企業が「話題」を生み出そうとしたとき、「作為」をどう扱うのかによって結末が違ってくるということを申し上げたいのだ。

 もっと言ってしまえば、今回の「カップヌードル」のCMはある意味で「成功」したような気もしている。確かにCM自体は放映中止に追い込まれはしたが、「目的」は十分達成しているからだ。

 すでに閉鎖されてしまったが、特設サイトにはこのCMの企画意図が掲載されていた。そこには、「SNSが発達した現代は失敗すれば叩かれる、そして一度転落すると、なかなか再起を許さない非寛容な時代」だとして、「私たちに必要なのは、相手の失敗を許容するという態度、寛容の精神」だと記されていた。

(出典:日清カップヌードル

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