世間では「ゲーム脳」という、もっともらしい言葉によって、ゲームは害悪であるという風潮が広がっています。私や仲間が本当に愛するゲームというものが、低い地位におとしめられている。なぜ映画やマンガ、小説は悪ではなく、ゲームだけが悪なのか。なぜ年齢などに関係なくすべての人たちがゲームの楽しさを共有できなかったのか。
ゲームというもので私は何を成したいのか。PSPという脅威が、本当に大切な思いに目を向けるきっかけを与えてくれました。そして、その思いを言語化してくれたのが岩田さんです。そのころから、任天堂社内の雰囲気も変わったように思います。
ある仲間は「家に帰ると家族は寝ていて、ゲームで遊べない。昔は夜な夜な奥さんと2人でゲームをして楽しかったのに」と語り出しました。別な仲間は「自分の子どもは大切だけど、子どもが遊ぶゲームに熱中できない」と打ち明けました。雨風がしのげる温かい建物の中では出ない本音も、嵐の予感がする夜中のキャンプ場で焚き火を囲みながら話すと次々と出てきます。PSPという嵐と、ゲーム人口の拡大という言葉の焚き火。どんな企画を考えるか、ではなく、何をしたいか、という本当に大切なことを語る舞台が、整っていきました。
とはいえ、私個人はそこで目が覚めて、まっすぐにWiiを企画できたかというと、そんなことはありません。相変わらず保守的に「これまでのファンを裏切れない」と言いわけしながら、ゲーマーとしての自分向けに商品を企画してしまうことも、ままありました。まったく新しいプロダクトに思いを巡らせる一方で、一日に何度も「これまでの延長のものを作ればいいじゃないか、『ニンテンドーゲームキューブ2』にすれば収まりもいいじゃないか、仕方がないじゃないか」という考えがよぎる、情けない状況だったことを今でも憶えています。
「変わりたくない」という願望ほど厄介なものはありません。過去の努力の結果として現在の安定があるからこそ、変わらないことがこれまでの努力を認めることにほかならないからです。変わることは、すなわち自己否定なのです。自分一人でさえも自己否定は難しいのに、組織ならなおさら難しいはずです。無数の仲間の努力を否定しなければ、組織における自己否定は達成できません。
そんなとき、岩田さんはこう言いました。
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