さて、ようやく鯉の話である。製糸業において絹糸を作り出す蚕は不可欠。多くの製糸会社が蚕を飼っていたわけだが、絹を取り終えて使い道のない蚕のさなぎを餌にしていたのが鯉だった。製糸業の発展に合わせて鯉の養殖もどんどん盛んになったというわけである。
郡山は内陸部にあるので、当時は鮮度の高い海の魚介類を住民はなかなか食べる機会がなく、その代わりとして家庭でも鯉をよく食べた。それが次第に郡山の食文化として根付いていったのである。
ところが、時が経つにつれ、食卓から鯉が離れていった。今では郡山が日本一の鯉の産地だと知らない市民もいるという。
なぜ廃れてしまったのか。骨が多い鯉の調理は難しく、それなりの技術が必要だ。また、食品の流通が発達したことで、郡山にも新鮮な海の幸が入ってくるようになった。スーパーマーケットや魚屋に数多くの魚介類が並ぶ中で、それでも鯉を食材に選ぶという人はほとんどいなくなってしまったのである。
今や郡山の鯉は地産地消ではなく、その大半が県外へ出荷されて、別の地域のブランド鯉として消費されているのだ。
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