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ポップコーン会社の再建を 野球界から転身した男の奮闘託された経営改革(2/4 ページ)

» 2017年10月25日 07時20分 公開
[伏見学ITmedia]

イーグルスで経営の本質を学ぶ

 上田さんは1984年に横浜で生まれた。物心ついたときから野球が大好きで、根っからの野球少年として育つ。高校は神奈川県内有数の進学校である浅野高校に入学。3年間、硬式野球部で白球を追いかけた。ポジションはキャッチャーで、最後は主将を務めた。

 大学は東北大学理学部へ。時を同じくして、大学のある仙台に東北楽天ゴールデンイーグルスが設立したのである。上田さんはすぐに球場のアルバイトへ応募し、初年度からグラウンド整備としてイーグルスにかかわることになったのだ。後にまたこのチームに戻ってきて戦略担当として働くなどとは、思ってもみなかったのではないだろうか。

 大学卒業後、三井住友銀行に入社し、本部や法人営業部門で主に顧客のグローバルビジネスを支援した。その後、アクセンチュアに転職し、経営コンサルタントとして活躍。そこでの実績を武器に2012年、「野球に携わる仕事をしよう」とイーグルスの運営会社である楽天野球団に舞い戻ったのである。

 イーグルスでは、立花陽三社長の下、チームマネジメントに従事した。12年11月に発足したチーム戦略室に属していたことや、他球団に先駆けて投手のボール回転数などを測定するシステム「トラックマン」を導入したことなどで、外部から当時の上田さんの専門業務は「データ戦略」だと見られていたそうだが、上田さんによると、実はそれは1割程度で、9割が球団経営全般にかかわる仕事だった。「選手との契約交渉から始まり、財務管理、各部門間の情報連携をスムーズにする仕組み作りとそのシステム化、スカウト会議や編成会議の主催など、球団のあらゆる業務を担当していました」と振り返る。

 この経営マネジメントの実地経験が大きな糧になった。銀行やコンサル会社では、どちらかと言えば論理先行で、頭でっかちになってしまうという懸念があった。「いくら経営的にこれが正しいと言っても、現場がふに落ちなければ意味がありません。イーグルスのおかげで、経営の現場経験を積み、経営の回し方をつかむことができました」と力を込める。

 もう1つ習得したのがコミュニケーションスキルだ。スポーツの世界はコミュニケーションが重要だとよく言われるが、まさにその通りだったと上田さんは痛感した。例えば、イーグルスでは引退した選手が球団スタッフとして再雇用されるケースが少なくないが、ずっと野球の世界で生きてきた元選手は、上田さん自身を含め、世のビジネスマンたちが持つ価値観とまったく違うのだという。

 「自分の考えが伝わらないことが多々ありました。そこでまずは相手が何を考えているのかを知り、そこから行動するのが大切だと学んだのです。聞く力はかなり磨かれましたし、それが今でも役に立っています」

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