「あと3カ月で資金が尽きます」 “ステーキ王”を生んだ苦難と覚悟夏目の「経営者伝」(2/4 ページ)

» 2017年12月28日 06時00分 公開
[夏目人生法則ITmedia]

「あと3カ月で資金が尽きます」

 一瀬氏の人生を振り返ると、彼は度々、この「失敗」を力に変えていた。その後、「ステーキくに」の売り上げは順調に伸び、自社ビルも建設、周囲は「もうビルを持ったのか!」と一瀬氏を褒めそやしたが、これが落とし穴だったのだ。

 「この時、夢をかなえた、成し遂げた、といった錯覚を持ってしまったんですよ」

 前回もお伝えしたが、夜の街の店に入り浸ったのもこの頃だった。オーナーシェフである一瀬氏のタガが緩み始めると、店は思わぬ速さで傾いていった。

 飲食店は、オーナーシェフが社長になる瞬間が難しい。多店舗を目指す、シェフから経営者に脱皮する、といったときにはどうしてもオーナーシェフ以外の人間が店を切り盛りする時間が増える。腕がいい、知人が多い、思いがあるなど、何かを持っていて、そんな人間が必死で働けば接客も味もいい。しかし、同じ思いを持って働いてくれる仲間がいなければ店はこれ以上大きくはならないのだ。

 そして一番大きな課題だったのは、せっかく募った店員が2〜3カ月に1人「辞めたい」と言ってきたことだ。なぜ社員は辞めてしまうのか。他の会社には、一生懸命働いてくれる人間がいる。彼らはなぜ一生懸命なのか?

 うすうす分かっていた。彼らがここで頑張って何があるのだろう? 社長はもう満足している。ということは伸びしろはない。とすると――。

 「この時、やっと分かったんです。人は、夢がある人間についていくんですよ。今よりいい暮らしがしたい。尊敬されたい、腕前を磨きたい。そんないろんな思いをかなえるのが経営者の使命だったんです。なのに、自社ビルなんかで満足するなんて、僕はなんて小さな人間だったんだろう。結局、自分が変わるしかなかったんですよ」

 しかし、頑張って店を増やすと、また次の壁があった。一瀬氏は、スタッフに何も言えなくなってしまったのだ。店を増やしたからこそ、人が必要だ。そして、店員を育成し、慣れてもらうまでには時間がかかる。料理人ならなおさらだ。一瀬氏は「辞めたい」と言われたくないあまり、まったく自分の思いを伝えられなくなってしまっていた。

 「お店に行くと『もっとこうしなきゃ、ああしなきゃ』と目につくんです。でも、辞められるのが怖くて言えないんですよ。ついには不手際が多かった従業員にさえ注意できなくなっていきました」

 糸が切れた凧、とはまさにこのこと。経営者が「理想のお店とは」を失い、店員にこびるばかりなら、真面目な店員さえどう動けばいいか分からなくなる。客は鋭い。料理が遅い、水が出てこない、そんな小さなミスで離れていく。ついに、せっかく流行っていたお店は多店舗化によって全店が赤字になり、一瀬は個人口座のお金を資金繰りに当て始めた。

 そして、財務担当者の「あと3カ月で資金が尽きます」という一言が、ついに一瀬氏の頬をひっぱたいた。

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