「ガキ使」を批判する人が増えれば、トンデモ権力者が生まれる論理世界を読み解くニュース・サロン(3/4 ページ)

» 2018年01月11日 07時36分 公開
[山田敏弘ITmedia]

言いたいことがはっきりと言えない世の中

 では、米国で黒人や同性愛者を“やゆ”するコメディ番組は放送できるのだろうか。結論を先に言うと、かなり難しい。なぜなら、米国は表向き「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)」を多くの人々が意識している社会だからだ。ポリコレとは、人種・宗教・性別などによる偏見や差別のない中立的な言葉を用いることを言い、人種のるつぼである米国で人々がお互いを傷つけずに生きるには必要な考え方だと受けとめられてきた。

 要するに、今回の「ガキ使」なら、黒人メークを批判している人たちの言い分はポリコレ的に正しい。ただその一方で、それでは窮屈な世の中になってしまいかねない。米国では、ポリコレは1980年代ごろから意識されるようになったのだが、今では何でもかんでもポリコレを敏感に意識するあまり、言いたいことがはっきりと言えない世の中になりつつあるとの批判もある。

 そして、そんな空気が漂う米国にさっそうと登場したのが、当時大統領候補だったトランプだった。

 彼の辞書には、ポリコレという言葉はなかった。

 トランプは選挙戦から、黒人、ラティーノ(中南米系)、イスラム教徒を平然と口撃した。その言い草は見ていてヒヤヒヤするほどで、公にそんな発言をする人が大統領を目指していることに、多くの人は戸惑った。特にポリコレを意識するインテリ層は煮えたぎる嫌悪感を覚えたはずで、当時筆者も友人たちの感情的な怒りを聞かされたものだった。

 トランプは「黒人たちが私のカネの勘定をしているなんてぜったいに嫌だ!」「怠けることは黒人の特徴のひとつだ」などと発言したことがある。また大統領選の遊説のスピーチで身体的に障害のある記者の動きを真似てバカにしたこともある。大統領選に出馬していた女性議員には、「あの顔を見てみろ。誰も彼女に投票しないよ」と発言したこともある。メキシコ人は「レイプ魔」だと語ったこともある。

 実際、トランプは「私には完全なポリコレを考慮する時間はない」とまで言い切っているし、2017年11月には「私たちはもっと賢くならないといけない。もっとポリコレを忘れなければいけない。私たちはポリコレを意識するあまり、怖くて何もできない状態になっている」とも主張している。

 そんなトランプの歯に衣着せぬ主張は人々を引きつけた。そんな男だったからこそ、大統領に当選したといっても過言ではないのである。

トランプの歯に衣着せぬ主張に、米国人は引きつけられた

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