全力で駆け抜けた川崎宗則から、学ぶべきこと赤坂8丁目発 スポーツ246(2/4 ページ)

» 2018年03月29日 14時56分 公開
[臼北信行ITmedia]

イチローの領域に少しでも近づきたい

 昨年のホークスは日本シリーズを制し、頂点に立った。しかし川崎はコンディション不良を理由にパレードやファンフェスティバルの行事には参加せず、オフの契約更改も先送りにされ続け、去就について周囲から心配されていた。まさか水面下で自律神経の病気に苦しむようになり「心の病」との戦いを強いられていようとは、世の中の大半の人が気付かなかったであろう。

 メジャーリーグではノリのいい性格で、どの球団にいっても人気者になってファンから熱い支持を得た。英語が完璧に話せなくてもボディランゲージやブロークンイングリッシュを駆使し、チームメートたちと仲良くなって完全なムードメーカーになっていた。

 ベンチで披露していたトリッキーな動きやパフォーマンスは「ムネポーズ」や「ムネダンス」などと米メディアに名付けられるほど好評だった。このように川崎が天真らんまんで明るい性格の持ち主であることから考察すれば、とても「心の病」を患うとは考えにくいと思うはず。しかし川崎の本当の姿は、人一倍に誰よりも真面目で周囲に気配りをする人物だ。

 これまで彼が日米で経験したプロの野球生活を振り返ってみると、要所で一本気なところも見せている。そのたびに「どこかで、糸が切れてしまわなければいいけど」と思わずにはいられなかったのも事実だ。

 11年のオフ。ソフトバンクからの残留要請に断りを入れ、メジャーリーグへの移籍を決意した。尊敬するイチローを追い求め、当時プレーしていたシアトル・マリナーズとマイナー契約を結ぶ。もしホークスに残留していれば複数年契約で年俸3億円以上の厚遇が保証されていただけに周囲は「無謀な挑戦」と評してせせら笑った。

 しかし、イチローの領域に少しでも近づきたいと思う自分の気持ちにウソをついてまで日本でプレーすることはできなかった。カネではなく、あくまでも自らが追い求める理想を追求したかったのだ。だから川崎はそれがイバラの道であることを覚悟しながらメジャーリーグの荒波へ身を投じた。

川崎宗則、国内での成績(出典:日本野球機構)

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