東芝側は「ゴキブリ退治ができて喜んでいる消費者も多い」(読売新聞 1970年9月19日)と反論したが、その必死の訴えも虚しく、こんな結末になってしまった。
『ゴキブリ、東芝を“返り討ち” 「さっぱり取れない」取り器 公取委、回収を指示へ』(同紙)
東芝ほどの大企業が満を持して世に放ったわけだから当然、ゴキブリを用いて何度も実証実験を繰り返したはずだ。にもかかわらず、このような事態を招いたのはひとえに、ゴキブリの死骸という「戦果」があまりにも少なかったからだ。つまり、「殺した実感」が乏しかったのだ。
どんなに最新テクノロジーを駆使して、確かな機能がある製品であっても、ゴキブリの死骸という結果が目に見えないようであれば、ゴキトールと同じ事態を招く恐れがないとは言い切れないのである。
これが単なる杞憂(きゆう)であったとしても、「見ないで殺す」というトレンドにはもうひとつ嫌な予感がつきまとう。それが2つめの理由である「ゴキブリの耐性」だ。
経験のある人もいるだろうが、ゴキブリにも個体差があり、殺虫剤をかけてすぐ死ぬものもいれば、しばらくピクピクとマヒするもののすぐに蘇って動き出すものもいる。そのため、一度死にかけて復活すると殺虫剤がきかなくなる、なんて都市伝説もあるほどだ。
そのあたりの耐性について『日刊SPA!』に質問された、アース製薬の殺虫剤カテゴリーのブランドマネージャー、渡辺優一氏はこう述べている。
「殺虫剤が中途半端にかかったとき、もともと強かった個体は生き残り、弱い個体は死にます。強いものが生き残って子孫を残すので、必然的に耐性が強いものしかいなくなります。例えば、殺虫剤を頻繁に使う飲食店などで生き残っているゴキブリは、遺伝子としてより耐性が強いものである可能性はありますね」(日刊SPA! 2017年6月5日)
ならば、「見ないで殺す」というコンセプトはかなりマズい気がしないか。
すき間にスプレーした薬剤がどんなに効果があっても、すべてのゴキブリを100%即死させられるとは限らない。なかには、瀕死状態に陥るだけの個体もいるだろう。それが目に見えるところにあらわれれば当然、トドメを刺せるわけだが、「見ないで殺す」をうたう製品には「追い出し効果」がないので、生死の境をさまよったゴキブリも物陰に潜んだまま。つまり、耐性の強いゴキブリが復活する時間と、子孫を残すチャンスを与えてしまう恐れがあるのだ。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング