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静岡を野球王国に! 私が20年間暮らした東京を離れたわけ地方には伸びしろがある(1/3 ページ)

» 2018年07月11日 07時30分 公開
[岡田真理ITmedia]

 2017年12月、大学に進学してから約20年暮らした東京を離れ、生まれ育った静岡県静岡市に生活と仕事の拠点を移しました。きっかけは、5年前に経験した約1年間の米国・ニューヨーク暮らしです。

 アスリート専門のマネジメント事務所勤務を経て、07年にフリーライターとして独立。13年にニューヨークに渡ったのは、取材の軸としていた「野球」の知識を本場・米国でさらに深めたいという思いからでした。その期間、時差や距離があるにも関わらず、日本にいる編集者とのコミュニケーションに大きな支障はありませんでした。今の時代、ネット環境さえあれば世界のどこにいても仕事ができることを、身をもって体験したというわけです。

 帰国後の14年、ライター業を継続しながらプロ野球選手の慈善活動をサポートするNPO法人「ベースボール・レジェンド・ファウンデーション」を設立。さらに昨年、静岡出身のプロ野球選手による野球振興プロジェクト「プロ野球静岡県人会」を立ち上げたのですが、これによって地元の方々との接点が増えたことで、より現実的に静岡への移住を考えるようになりました。

静岡県野球連盟にAEDを寄贈する筆者(左から2人目) 静岡県野球連盟にAEDを寄贈する筆者(左から2人目)

機動力を生み出すための移住

 私の場合はフリーランスであることに加え、全国に球団があるプロ野球絡みの仕事をしていることも、静岡移住の大きな決め手となりました。

 ライター業では出版社が経費をカバーしてくれることがほとんどですが、NPOと県人会の経費は自分の団体で捻出する必要があります。となると、東京で賃料や生活費など高いランニングコストを払いながら全国の球団を回るよりも、地方で毎月のコストを抑えてその分を活動費に回すほうが効率的だし、仕事の幅も人脈もこれまで以上に広がると考えました。

 東京暮らしには、人とすぐにつながることができる、行きたいセミナーや勉強会に気軽に参加できるなど多くのメリットがありましたが、一方で、目先の仕事に追われて新たなアイデアを生み出したり、それを実践したりすることが困難だと感じることもありました。ランニングコストの高い東京では、現実問題として「生活のための仕事」もしなくてはならず、そこが「自分で新しいことをやりたい」と思う私にはネックになっていたのです。

 そして、冷静に考えると、静岡は東京から新幹線の「ひかり」で約1時間。各駅停車の「こだま」でも1時間半。埼玉から横浜スタジアムに行ったり、千葉から西武プリンスドームに行ったりするのと時間的にはそんなに変わらない。コスト面でも、もう少し時間をかけて高速バスを使えば片道2000円ちょっと。つまり、移住を迷うまでもない距離だった(笑)。結果、「静岡にいたほうがいろいろ効率的じゃん!」となったわけです。

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