――神戸大学を卒業後は大阪ガスに就職されたそうですね。今の仕事とは遠い気がしますが、なぜ大阪ガスを選んだのでしょうか。
生まれ育った関西に残りたかったからです。大阪ガスでは地域開発の仕事に携わり、「マルチメディア」振興の拠点である京都リサーチパークの設立に関わりました。インターネットの商業利用が始まった90年代前半のことです。この経験でデジタル化への興味が深まりました。
例えば、貴重な文化財の写真をデジタル化してアーカイブするプロジェクト。後年に当社に入ったときに、「あのときの仕事が今につながった!」と感じました。
――英国に渡った理由を教えてください。
20代の後半で結婚して、主人が英国に留学することになったからです。単身赴任は考えもしませんでした。一応、親にも相談しましたが、「2人で決めたならいいんじゃないの? なぜ私たちに聞くの?」という反応でした。私は子どもの頃、米国で育ったおかげで、英語に関する問題はありませんでした。当初は数年間で帰国する予定でしたが、結局13年間も英国で暮らしたことになります。
さまざまな国が近くにあり、多様な人が暮らす欧州の大都市は、人と人との距離感が絶妙です。疎遠でもないけれど出しゃばることはせず、他人に迷惑を掛けなければ個人を尊重する。ダイバーシティー(多様性)とインクルージョン(一体性。多様な人材の活用)の点では、米国よりも欧州は進んでいると思います。
周囲に無理に合わせなくても尊重してもらえるのはすごく気持ちいいですよ。自分らしくいられます。より自分を好きになれて自信を持てました。
――自信は社会人にとって大切な要素ですね。
大阪ガスでの7年間にも感謝しています。大阪ガスのような日本の大企業では、ビジネスマナーなども丁寧に研修させてもらえます。また、一歩外に出れば全員がお客さまであるという貴重な体験や、さまざまなお客さまへの対応を経験したことは自信につながりました。自信を持つことは余裕につながり、他人に寛大になれると思います。若い女性の方にも、ぜひ理想の自分を目指しながらも、現在の自分を好きになって自信を持ってほしいと思います。
――英国で最初に入ったのはゲーム会社だったそうですね。そこでの経験はどのように生かされていますか。
自動車レースであるF1のゲームなどを扱っていたので、スポーツのライセンスビジネスに関する勉強ができました。知的所有権への関心は今の仕事につながっています。
――ゲッティイメージズでは報道写真事業の拡大に貢献しています。島本さんは具体的には何をしたのでしょうか。
私がゲッティイメージに入社したころは会社にとっての過渡期でした。従来のビジネスであった宣伝広告用のストックフォトとスポーツの報道写真に加えて、通信社として幅広くニュースを取り上げるようになりました。そのため、報道写真事業の売り上げは、まだ大きくありませんでした。私がメディア向けのセールスチームを率いて、売り上げに占める割合を43%まで引き上げたことが評価されたのでしょう。英国に続いて、ドイツやスペインでも同じようにメディア向けセールスの体制立て直しの仕事をやって来ました。
食べ物に例えると、ストックフォトが干物で、報道写真は鮮魚です。つまり、報道写真は鮮度が命。その日の出来事をなるべく早くメディアに提供することや、メディアが関心を持ちそうな写真をフォトグラファーに撮ってもらうことが売り上げに貢献します。ストックフォトとは異なる売り方が求められるため、「スタッフの意識改革」が必要でした。
営業というより、ジャーナリストとしての意志を持つ必要があり、担当それぞれにニュース、スポーツ、エンターテインメント、アーカイブの専門家になるぐらいのプロ意識を持つように関心を高める努力をしました。フォトグラファーが撮る写真の中には息をのむものや心に大きく訴えるものも多くあるため、その感動をお客さまに提供し、そのフィードバックをフォトグラファーに伝えることで好循環ができました。
フォトグラファーの取材を調整するアサインメントエディターとセールスの早朝ミーティングも設けて、新聞社に対しては午前10時の会議までに「今日のゲッティの取材スケジュール」を伝えるようにしました。このような活動を通じて、自分たちが関わった写真が次の日の新聞やテレビに使われると、仕事が面白くなっていきます。
例えば、テニスの4大国際大会の1つが開催されるウィンブルドンでは、イチゴを食べながら観戦することが知られています。「テニスの試合だけでなくイチゴの写真も撮って」という意見が反映され、多くのメディアで使ってもらえました。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング