「諦めなければ夢はかなう」 豊ノ島との友情が生んだ相撲雑誌相撲女子を首ったけに(2/3 ページ)

» 2018年11月05日 08時00分 公開
[服部良祐ITmedia]

横綱との優勝決定戦に臨む豊ノ島に涙

 その後もミュージシャンとして芽が出なかった竹内さん。29歳の時には「来年は30歳、もう地元に帰ろうかな」と悩んでいた。そんなある日。別の友人から「おまえの友達、テレビに出ているぞ」と連絡が来た。家電量販店のテレビにかじりつくと、大相撲中継にあの日CDを買ってくれた力士が映っていた。2010年11月九州場所で横綱・白鵬との優勝決定戦に臨む豊ノ島、その人だった。

 惜しくも豊ノ島は横綱を下すことができなかったが、テレビを見ながら竹内さんはボロボロ泣きじゃくった。「諦めなければ夢はかなうと豊ノ島が証明してくれた気がした」。

 相撲に強くひかれるようになった竹内さん。まずは情報を集めようとしたが、当時は野球賭博問題で人気が下がり専門の雑誌がどんどん消えていた。残っていた雑誌も専門的過ぎる内容で初心者にはハードルが高い。ネット上にも今ほど相撲の解説情報は無かった。「もっと初級編の雑誌がないのかな。ないなら自分が作ってしまおう」と思い立った。

広告の必要性知らずに雑誌を作る

 当時、竹内さんは雑誌作りの全くの素人。相撲についても平幕の力士を全員は言えない程度の知識量だった。1年半かけて勉強したり取材を重ね、何とか24ページのフリーペーパーを作り上げた。貯金を切り崩して約20万円かけて5000部を刷った後、はたと気付いた。「どうやってお金もうけできるのだろう?」。

 広告を掲載するという一般的なフリーペーパーのビジネスモデルを知らなかった竹内さん。取りあえずTwitterで告知して配布を始めた。

photo 力士の進級試験を体験中の竹内さん。土俵に上がるよう呼び出された場面(TSUNA提供)

 相撲ファンからは「待ってました!」「こういう雑誌が今の相撲界に必要なんだ」と熱い支持が寄せられた。12年9月発行の創刊号は知り合いの飲食店などに置いたところ1週間以内に無くなった。2号は1万部が3日で、3号は3万部が2日ではけてしまった。人気ぶりに驚いた日本相撲協会からも「国技館に置いていいですよ」と連絡が来た。

 出すたびに飛ぶように手に取られ読まれるTSUNAだったが、そもそも広告が無いので収入源はない。竹内さんの懐事情は悪化の一途をたどった。意地でも発行は続けようと消費者金融からお金を借りたことも。さすがに広告は必要と思って代理店を訪れたところ「部数が足りない。しかも相撲だし……」と相手にされなかったという。

 そこで竹内さんは自力でスポンサー集めに走った。大相撲で懸賞を出している企業を中継の録画を見返してメモし、片っ端から電話をかけた。断られ続け、借金がかさんで印刷代を滞納したこともあった。それでも発行3年目からは他のアルバイトを辞め、フリーペーパーの仕事一本で歯を食いしばり続けた。

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