日産リバイバルプランがもたらしたもの ゴーン問題の補助線(2)池田直渡「週刊モータージャーナル」(1/4 ページ)

» 2018年11月27日 07時45分 公開
[池田直渡ITmedia]

 前回の記事では、元日産自動車会長のカルロス・ゴーン氏の容疑について整理した。

 経営者としてのゴーン氏の功罪を振り返って見ると、なかなか一言で白黒つけられない。

90年代の日産自動車の厳しい当期利益推移 90年代の日産自動車の厳しい当期利益推移

 1999年にルノーが日産自動車の株式の36.8%を取得して提携した時、日産自動車は瀕死の状態だった。惨状と言っても良い。90年代を通して当期利益が黒字化したのは90年、91年と96年の3回だけ。つまり92年に赤字に転落して以降はたった1度しか黒字化してない。

 目標とされる営業利益率8%に対し、かろうじて黒字になった96年が3%、それ以外の年は全部赤字決算で営業利益率が計算できない。有利子負債は93年の2兆8660億円をピークに、98年時点でも2兆1000億円。

有利子負債は利益を食いつぶす。これを圧縮しない限り出口はない 有利子負債は利益を食いつぶす。これを圧縮しない限り出口はない

 それらが何を意味するかと言えば、莫大な借入金があるにもかかわらず、返済する原資がないということだ。借金が年収の何倍かを計算しようにも、肝心の年収がマイナスでは話にならない。決算書に如実に映し出されたその経営状況は、毎年連続するマイナスと借り入れ金利がストック資産を食いつぶし、資産合計を借金が上回る債務超過へのカウントダウンだと言える。

 あるいは、この時点で資産を厳しく査定したらアウトだった可能性もある。とすれば、金融機関がケツをまくって支援を継続しないと言えばそれで終わりだし、支援を受けるとしても「どうやって再生するのか?」と問われれば答えがなかった。

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