12年にオープンした4号店の「綱島商店」は、東急東横線の急行停車駅である綱島駅を出てすぐ隣にあり、人通りが多く、どのラーメン屋でも成功するような場所だ。この綱島商店はわずか10坪で月商1000万円を超え、大ブレークした。
飲食店は立地によって売り上げが全く変わることをまざまざと見せつけられ、田川氏は現場を離れて店舗物件の開発に専念するようになった。
ギフトが急成長できた理由は何だろうか。こうして見ていくと偶然の産物という面もある。しかし、典型的なラーメン職人だった田川氏は、創業した町田商店本店で「世界一自分がうまいと思うスープを出す」という“余計”なこだわりを捨てた。2号店となる代々木商店では、店内でスープを仕込むというこだわりを捨てた。そして、4号店となる綱島商店では「現場で汗を流す職人」というスタイルも捨てることで、成長した会社である。
その代わり手に入れたものは、社員が適材適所で思っていた以上の力を発揮し、成長していく姿を目撃できる喜びだったのではないか。そうでなければ、わざわざ社名に「ギフト(天賦の才)」と付けないだろう。田川氏は胸に職人の魂を秘めつつも、経営者を全うしようと覚悟を決めているのだ。
ギフトの経営するラーメン店に何店か行ってみたが、店によってスープの味が違うのには驚かされた。ある店はしょっぱく、ある店はまろやか、ある店は豚骨よりしょうゆの味が強く出ている。たまたまなのか、客層を見てのマーケティングなのか、つくる人の好みかは不明だ。同じ工場のスープを使っていても、マニュアルに基づいた画一的な味を出しているわけではない。ベースのスープは同じでも、創意工夫を加える余地のある味づくりを行っている。
ギフトはロサンゼルス、ニューヨークにも出店。田川氏は、国内1000店、海外1000店を目標に掲げている。世界のE.A.K(いえけい)になりたいと鼻息も荒い。
それにしても横浜で生まれた家系が、神奈川県でもない町田生まれの店によって全国制覇されてしまうというのは、皮肉な現象である。
吉村家創業者の吉村実氏は、「東京のしょうゆラーメンと、九州の豚骨ラーメンを掛け合わせて、万人が好むようなラーメンがつくりたかった」というようなことを語っていた。元祖家系は、町田商店系E.A.Kに包囲され、横浜ローカルでしぶとく生き残るのだろうか。
長浜淳之介(ながはま・じゅんのすけ)
兵庫県出身。同志社大学法学部卒業。業界紙記者、ビジネス雑誌編集者を経て、角川春樹事務所編集者より1997年にフリーとなる。ビジネス、IT、飲食、流通、歴史、街歩き、サブカルなど多彩な方面で、執筆、編集を行っている。共著に『図解ICタグビジネスのすべて』(日本能率協会マネジメントセンター)など。
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