首都圏の鉄道で何が進んだのか “接続しなかった”相鉄もとうとう相鉄・JRが直通に(3/5 ページ)

» 2019年02月28日 08時00分 公開
[小林拓矢ITmedia]

平成は相互乗り入れが進んだ時代

 平成時代の首都圏の鉄道を振り返ると、直通・乗り入れが進み、ターミナル駅でも乗り換える必要がなくなったといえる。

 いくつかのプロジェクトを見てみよう。例えば、昭和時代の東京メトロ半蔵門線は半蔵門までしか開業していなかった。平成に入って、三越前、水天宮前が開業し、03年には押上まで開業した。これにより、東武鉄道に乗り入れることになった。

 この乗り入れはさまざまなメリットをもたらしている。従来は北千住で乗り換え、千代田線を利用して都心に通勤していた人が、北千住で乗り換えをせず、そのまま都心へ向かうことができるようになった。また、長編成の車両は浅草に乗り入れることはできない。従来は業平橋(現在のとうきょうスカイツリー駅)で車両の一部を切り離し、乗客も業平橋から押上まで歩き、そこからは都営浅草線を利用することになっていた。10両編成を東武伊勢崎線に乗り入れさせ、複々線区間を速達形列車で運行させることができるようになり、利便性は向上した。

 存在感の大きかったプロジェクトといえば、東武東上線、西武池袋線、東京メトロ有楽町線、同副都心線、東急東横線、横浜高速鉄道の相互直通運転である。08年に東京メトロ副都心線が池袋〜渋谷間で開業し、東武東上線、西武池袋線から新宿エリア、渋谷エリアがダイレクトにつながることになった。

 さらに13年には東急東横線との相互直通運転が開始され、有楽町線も含めた一大ネットワークが完成することになった。埼玉エリアと横浜エリアが結ばれただけでなく、それぞれの方面から都心へのネットワークが強化され、利便性は高まった。

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