また欧米では、“隠すことは何もない”という主張は、傲慢(ごうまん)な意見であるとの指摘もある。どういうことかと言うと、“隠すことは何もない”と言う人たちは特権階級的で、主流派たちの言い草だという見方があるのだ。なぜなら、肩身の狭いマイノリティー(少数派)や、LGBTなど性的マイノリティー、また弱い立場の人たちや有色人種などにとっては、特にプライバシー保護が必要だからだ。もっと言えば、プライバシーが守られることによって、弱い立場の人たちも、自分らしく生きる自由を与えられるという側面がある。誰からも干渉されず、プライベートな環境で自分らしく暮らせるのも、プライバシーがあってこそである。
誰しも隠し事はあるだろう。それを軽視していいというのは、確かに乱暴な言い方だといえる。
さらには、プライバシーの問題は人ごとでは済まされないとの意見もある。例えば元CIA(米中央情報局)の内部告発者であるエドワード・スノーデン氏は、“隠すことは何もない論”を主張する人たちをこう批判している。「何も隠すことはないからプライバシー権はどうでもいいというのは、何も言いたいことがないから表現の自由はどうでもいいと言っているのと同じだ」
またこんな話もある。13年に米マサチューセッツ州ボストンで発生した、ボストンマラソンでの爆破テロ事件では、実行犯はすぐに当局によって射殺された。その後の捜査で押収されたPCから、犯人の妻が、イスラム系テロに関する情報を事件の1年以上前にネットで検索していたことが分かったと報じられた。最終的に妻は起訴されなかったが、1年も前に検索した内容が裁判で明らかにされており、このニュースだけで妻に対するイメージが図らずも植え付けられる結果となった。こうした話に特に敏感な人権派から批判が出たのは言うまでもない。
このケースは誰にでも起こり得る。当局に何かの間違いで捕まるようなことになり、ずいぶん昔のあなたの検索履歴や購入履歴、位置情報の記録、配偶者や恋人とのやりとりの記録などが見られたら、変な誤解を生むこともあるかもしれない。過去に何となく検索した内容を持ち出されることも考えられる。
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