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事故物件、特殊清掃…… “死のリアル”になぜ私たちは引き付けられるのか目を背けたくなる現実(3/4 ページ)

» 2019年06月19日 07時00分 公開
[服部良祐ITmedia]

――孤独死の現場を見つめ続けると、取材者も「自分事」としてテーマについて描くようになるのですね。

菅野: 特に女性の孤独死の話は、私も同性であるため、「自分に起きてもおかしくない」と身につまされます。

瀧野: 私の場合、(死のテーマに対して)答えが無いから、必然的に「私」が出ざるを得ないのです。答えがある問題なら「こうあるべきだ」と言えますが。「私はこう思うけれど、みなさんどうですか」と。

菅野: さらに、特にWebメディアの記事は、「個人としての(書き手である)私」がよく表に出るようになってきていると感じます。孤独死は高齢者だけの問題と思われていますが、中高年の引きこもりも最近、問題になっていますよね。私は氷河期世代です。孤独で亡くなった同年代の人々の物語も発信しなくてはいけない、と思うのです。

死臭に宿る「死の本質」

――確かに孤独死は報じられるべき問題ですが、ウジや死臭が残る特殊清掃の現場取材は正直、プロのジャーナリストでもきついと思います。こだわる理由は何ですか。

瀧野: やっぱり一番は、(死の)本質の部分に行きたいということですね。私の方は(特殊清掃について)菅野さんよりは比較的ライトな部分の取材しかしていませんが、死臭は嗅ぎたいと思った。孤独死の現場取材では、前日から準備した上で(部屋に残った赤黒い体液のシミを)近づいて嗅ぎました。やっぱり、すごい。

photo 特殊清掃の現場を実際に取材してきた菅野さん(左)と瀧野さん

瀧野: 今、世の中に出回る情報は“本質”から離れていっていると感じます。そこに踏み込まないと。僕は防衛大学校出身で安全保障の取材もしましたが、頭の上だけで考えていることがよくある。汗の臭い、本当の恐怖、それらを体で感じるということです。

 そしてやはり、物事の本質は「臭い」にあるんじゃないかと思うのです。医師に聞くと、亡くなる間際の人は耳も聞こえていると言いますが、特に臭い(の感覚)が最期まで残るという。「(みとっている遺族の)臭いを患者に嗅がせてあげるために、触ってあげて」と言う医師もいます。僕が防衛大学校で勉強していた4年間は外と隔離された空間でしたが、手紙が来ると臭いを嗅ぐんですね。臭いという物は、本質的な恐怖や喜びにつながっている。

特殊清掃の作業、自ら手伝う

――菅野さんも何度も特殊清掃の業者に帯同し、現場の部屋では取材だけでなく、清掃を手伝うこともありますね。

菅野: 特殊清掃の業者さんは、毎日のようにそういった(遺体があった)場所に入っています。自分も行って、そこに身を置かなくてはいけないと感じるのです。

 でも、死臭は慣れないですね。甘ったるいような独特の臭いです。この臭いはすごいですよ。マスクしていても入ってくるし、夏だと暑さも大変です。汗まみれ、臭いまみれになる。

 でも、本当にそこでそういう(特殊清掃に従事する)人がいるという状況に対して、後ろから見ているわけにはいかないのです。壁紙をはがす作業くらい、手伝わなくてはいけないな、と。

 その場の雰囲気に飲まれるということもあります。業者さんも臭いを抑えようと作業するので、(その後は)多少ましになります。何より取材時には、「故人の実像を伝えなくては」と思うのです。

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