3年経ってもふっくら! 「奇跡のパンの缶詰」の意外な行き先大手運輸会社と連携(2/4 ページ)

» 2019年07月05日 08時00分 公開
[菅聖子ITmedia]
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捨てられないために作った缶詰を、また捨てるのか?

 1996年に完成したパンの缶詰は、販売を始めてもなかなか注目されなかった。そして、まったく売れなかった。

 広く知ってもらうため、手っ取り早いのはテレビCMや新聞や雑誌の広告だが、それほど大きな資金はない。そこで秋元さんは知恵をしぼった。新しくできたパンの缶詰を、地元の市役所に500缶プレゼントし、9月1日の防災の日に贈呈式を開くことにしたのだ。式には多くの記者が取材に訪れ、カメラの前で注目を浴びながら秋元さんは語った。

 「このパンの缶詰は、阪神淡路大震災の被災者の声から生まれました。お年寄りや歯の悪い人、子どもたちにも食べやすい新しい備蓄食です。1年半の開発期間を経てようやく世に送り出せます」

 午前中にセレモニーを終えると、NHKの正午の全国ニュースで放送され、夕方には国際ニュースにもなった。これをきっかけにさまざまなメディアからの取材も増え、多くの人の目に留(と)まるようになる。そうしてまったく売れなかったパンの缶詰は、だんだんに販路が広がっていった。

新潟中越地震では自治体から直送

 次にパンの缶詰が注目を集めたのは、2004年に起きた新潟中越地震だ。被害の大きかった長岡市は、那須塩原市から直線距離で120キロメートルと意外に近い。秋元さんはすぐに社内にあったパンの缶詰を集め、トラックに乗せて運ぶことにした。それでは数が足りないため、購入先の自治体に声をかけると、東京都中央区、稲城市、千葉県浦安市などが備蓄していたパンの缶詰を、直接送ってくれることになった。

 これらは避難所で役立てられたほか、長岡市内の学校給食の代わりになるなど、大活躍を果たす。そのことがニュースになると、アキモトには全国から多くの注文が押し寄せた。

 もう一つ、パンの缶詰が広く世に知られた理由に、宇宙飛行士の若田光一さんが宇宙に持って行ったことが挙げられる。宇宙からの映像で、缶詰を開けてパンを食べる若田さんが映し出されたのだ。

 パンの缶詰は、長い時間をかけて全国の自治体や学校などにも数多く収められるようになった。しかし、取引先である神奈川県の某市役所から掛かってきた電話に、秋元さんは衝撃を受ける。

 「3年前に購入したパンの缶詰、賞味期限が近づいたので新しいものに入れ替えますね。その代わり、古いものをそちらで処分してもらえませんか」

 「えっ、処分ですか?」

 秋元さんは耳を疑った。賞味期限の前なら、持って行ってくれる人や食べたい人はいくらでもいるはずだ。しかし、担当者は賞味期限ぎりぎりの上、税金で購入したものを勝手に配るわけにはいかないと言う。大量の缶詰の処分は産業廃棄物扱いになり、秋元さんが見積もりを取ってみると1缶あたり70〜80円することも分かった。

 結局、市役所に缶詰の行き先を考えてもらうことにしたものの、モヤモヤとした思いは消えなかった。備蓄食として販売したパンの缶詰は、必ず賞味期限が来る。そのとき製造元としてどうすればいいのだろう。結果として捨てられてしまうものを作ってしまったことへの、自責の念も生まれていた。

phot 最初に発売されたパンの缶詰
phot パン・アキモトのパンの缶詰は保存もできてやわらかい。しかし賞味期限という理由から「処分」されることになってしまった……

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