エストニアが「電子国家」に生まれ変わった本当の理由ボーダーレスを生む教育(2/3 ページ)

» 2019年07月18日 10時00分 公開
[らいらITmedia]

侵略の歴史があるから電子国家になった

――今の話を聞いていると、日本からは想像できないほど、エストニアは電子政府化が進んでいる印象を受けます。そもそも、この電子国家のアイデアはどこから始まったのでしょうか。

ポール 1991年にエストニアはソ連から独立しましたが、1つは独立前からソ連のサイバネティックス(人工頭脳学)研究所が首都のタリンにあって、そのノウハウやITに強い人材が残っていたのが強みでした。

 もう1つは、他国に何度も侵略された歴史が大きなきっかけです。エストニアは世界初のデータ・エンバシー(=データ大使館)を持っていて、政府関係の全てのデータベースは、ルクセンブルグにバックアップがあります。仮にエストニアに爆弾が落ちて国が全滅したとしても、情報を復元できる施策があるんです。

――「物理的に国土が占領されても、消えない国を作ろう」という決意が電子国家の根幹にあるわけですね。ただ、いくらITに強い人材がいたとはいえ、国のシステムを丸ごと変えるのはすごくハードルが高そうです。

ポール 独立直後のエストニアはインフラが非常に弱かったのです。裏を返せば、システムを引き継ぐコストがゼロだったので、一からインフラを作ることができました。

――エストニアがソ連から独立して、電子国家としてどんどん変わっていく様子を、ポールさんはどう受け止めていましたか。

ポール 独立当時は2歳でした。周りの世界が変わっていくのはすごく感じました。90年代前半はまだ発達途上で、ソ連っぽさが残っていました。印象として、モノクロームで、コンクリートの四角い建物が整然と並んでいて、道が広くて、人通りがあまりなくて……。あと、当時の人々は仏頂面の率が高かったです(笑)。

 90年代後半から2000年にかけていろいろ変わっていきましたね。1996年は自分の人生の中で一番長く感じる年でした。ICT教育プログラムの「タイガー・リープ」が始まって、エストニアの全学校にインターネット接続ができるPCが設置されたのです。当時は「こんな環境がある学校はエストニアだけだぞ」とプライドを持っている大人も少しはいました。

――教育から変わっていったということは、ITリテラシーが高い政治関係者が主導して進めていったのでしょうか。

ポール タイガー・リープ・プログラムを推進した中心人物は、当時在米エストニア大使を務めていたトーマス・ヘンドリク・イルベスさんという方です。のちにエストニア大統領にもなったのですが、彼はプログラミング経験者でした。

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