「令和改元」という“機密ミッション”の舞台裏 隠されたキーマンを追う“国家プロジェクト”はいかに遂行されたか(4/5 ページ)

» 2019年08月05日 07時10分 公開

「カムフラージュ」で別職も兼務

 1987年成立の公文書館法の4条2は「歴史資料として重要な公文書等についての調査研究を行う専門職員その他必要な職員を置くものとする」と定める。この法律を受けて新設された「公文書研究職」として、尼子氏は国立公文書館に採用された。その前にも公文書館に漢籍の専門家はいたが、元号担当ではなかった。

 当時の事情に詳しい公文書館OBは「以前から研究職新設を求めても認められなかったが、元号専門の職員を採用するのを呼び水にして内閣官房に認めてもらった」と話す。

photo 「元号研究官」尼子昭彦氏の歩み

 一方で「本務の内閣官房に元号担当がいると目立つので、秘密にするために公文書館に机を置いて仕事をしていた」(別のOB)との証言もある。本来の元号担当は副長官補室。尼子氏が公文書館も兼務したのは「カムフラージュ」の意味もあった。

 尼子氏の採用時の公文書館長は菅野弘夫氏(2009年に死去)だ。1979年の元号法成立直後に、当時の元号担当だった総務長官を支える事務方トップの総務副長官だった。この時期に政府は、昭和に代わる新元号の考案を学者に依頼している。これに菅野氏が関与した可能性がある。

 また、菅野氏は公文書館長の後の89〜94年に、宮内庁で皇太子さまに付く「東宮職」トップの東宮大夫も務め、皇室ともゆかりがあった。

 公文書館は71年開設で、2001年に独立行政法人化された。幹部職員は内閣府からの出向者が占める。役所から移管された重要文書を管理・保管し、一定の期間を経たものを公開する。和漢の古典籍・古文書約50万冊に、明治以降の公文書などを含めると計約140万冊を所蔵。貴重な古典籍が引き継がれている。

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