「敬老の日」の昨日、この国の「敬老」の意味をあらためて考えさせられるニュースがあった。
9月15日現在、65歳以上の高齢者は約3588万人で、全人口に占める割合(高齢化率)は28.4%と過去最高となり、これは同じく高齢化が進むイタリアの23%を大きく引き離し、世界一となっているというのだ。
ご存じのように、このポジションは当分続く。「平成30年版高齢化白書」によれば、日本の人口がじわじわと減っていく中でも、高齢者は「団塊の世代」が75歳以上となる2025年に3677万人、その後も増え続けて42年には3935万人とピークを迎え、65年にはなんと日本人の2.6人に1人は高齢者になるという。
と聞くと、「高齢者が世の中に溢れかえっているから、敬う必要などないということか!」とキレるシニアも多いと思うが、そんなバチ当たりなことを主張するつもりは毛頭ない。
絶対数が多い少ないは別にして、目上の人を敬うのは人として当然だ。が、現実問題としてこれからの日本のリソースでは「敬老」したくてもできない、と言いたいのである。
例えば、増えるシニアたちを将来的に養う子どもたちを見れば分かりやすい。2018年4月1日時点の15歳未満人口は1553万人。これは全人口の12.3%と過去最低で、同じく少子化が進む韓国(13.1% 17年推計)、ドイツ(13.2% 16年推計)上回って世界最低の水準だ。そして、このポジションもしばらく続き、高齢者がピークを迎えるあたりの2040年になると1194万人まで減少する。
こんな調子で年々減少していく、絶滅危惧種のような若い世代が、果たして自分たちの3倍以上も世に溢れかえるシニアを心の底から敬い、大事にすべきと思えるだろうか。彼らの豊かな老後のため、今以上に重い負担となる社会保障費を払おうと思えるだろうか。
思えるわけがない。それどころか、今一部の若者たちが感じている「オレらは年金もロクにもらえないのに、高齢者はガッポリもらってズルい」という不平不満がさらに強まっている可能性のほうがはるかに高いのだ。
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