日本の「ノルマ」が、欧米の「成果主義」よりも陰湿になってしまうワケスピン経済の歩き方(3/4 ページ)

» 2019年11月19日 09時00分 公開
[窪田順生ITmedia]

日本企業の「ノルマ」は、ジメジメ

 仕事で迷惑をかけている上に、さらに辞めることで迷惑をかけるというのだ。このような強烈な罪悪感や自責の念は、外資系企業で成果主義から仕事を奪われた人からは、ほとんど聞いたことがない。

 では、いったいなぜ日本企業の「ノルマ」はこんな風に、連帯責任をベースにしたジメっとしたものになってしまったのだろうか。

 「ノルマ」のルーツについて、よく言われるのは、戦後にソ連から引き上げてきた人たちが広めたということだ。ご存じの方も多いかもしれないが、実は「ノルマ」はロシア語。敗戦後、シベリアで強制労働をさせられた日本人たちが、ソ連兵から「ノルマ」「ノルマ」と口すっぱく言われたことで、この言葉を覚えて、帰国後に一気に広まったという。

 と聞くと、「そういうルーツだから、日本のノルマはブラック労働っぽいのか」と妙に納得するかもしれないが、それは「ガセ」だ。「ノルマ」という言葉自体は、戦前から普通に使われている。というより、もっと言ってしまうと、日本社会は戦前から旧ソ連の影響をかなり受けている。例えば、終身雇用なんても実は日本オリジナルの制度ではなく、ソ連が推進していた計画経済の中の雇用形態をパクったものだ。

 では、「戦後に広まった説」が事実ではないとしたら、我々はいつからこのジメっとした連帯責任的な成果主義を取り入れたか。正確な時期は分からないが、少なくとも戦前戦中には日本社会にノルマらしい考え方は存在している。その証となるのが、「隣組」だ。

 これは戦時体制下に、時の政府が主導して、国民を統制するために組織させたもので、町内会の下部に当たる、隣近所単位の組織である。表向きは苦しい戦時下を隣近所で助け合っていこうということだが、不満分子などがいないか互いに監視をさせるという意味合いもあった。そんな戦時下のマネジメントである「隣組」にも実は、ノルマが課せられていたのだ。

 当時、町内会や隣組の連絡には「回覧板」が用いられた。その内容は主に、配給に関する通知が中心であるが、防空訓練の通知、灯火管制の徹底、さらには国債の購入の呼びかけや、貯蓄の奨励もあり、その中でノルマが定められていたのだ。

 例えば、『田園調布の戦時回覧板 付 田園調布のあゆみ』(著:江波戸昭 、田園調布会発行)には、以下のような記述がある。

 「昭和19年1月13日 仇討貯金に就て(目標額5万円)」

 この目標は「出せる人が出せばいい」という生ぬるいものではないことは、容易に想像できよう。表向きは個人の好意、自由意志というニュアンスになっているが、隣組というチーム、日本人としては当然の「義務」にされたはずだ。郵便局に勤める者ならば、誰もが達成しなくてはいけない年賀はがきのノルマと同じノリである。

 裏を返せば、このノルマに貢献できなかった人たちは、強烈な罪悪感に襲われたということでもある。「非国民」のそしりを受けたかもしれない。

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