断捨離で人はなぜ“人生リセット”したがるのか――「自己啓発と意識させない自己啓発」ブーム日常に抵抗無く忍び込む“倫理”(3/4 ページ)

» 2019年12月12日 08時00分 公開
[真鍋厚ITmedia]

断捨離とは「神無き時代の倫理」

 わたしたちは、日常の慣習から宗教が消え失せた「神無き時代」、かつ伝統的な規範意識が無意味になった「規範なき時代」を生きています。

 そこに現れたのが断捨離という「モノとのコミュニケーションを通じて『人生の指針』を明確にするとともに、精神のバランスを最適な状態に保つメソッド」なのです。これは生のあり方すら決める“倫理”と言っても過言ではありません。

 いわば「神無き」「規範無き」時代の「モノを介した自己対話(カウンセリング)」なのです。「モノが何かを語りかける」というと、アニミズム(生物・無機物問わず霊魂が宿るという考え方)を想起しがちですが、この場合のモノは「その人のアイデンティティー形成を支える無数の断片」といった位置付けです。

 だから「ときめく」かどうかがとても重要になるのです。ヒトもモノも過剰に流動的な世界で、わたしたちは日夜「何を残し、何を捨てるべきか」「何を追求し、何を諦めるべきか」等々決断を迫られています。その上、それらの根拠となる「判断基準」は本当に妥当といえるものなのかどうか、永久に終わりのない“不断の闘争”を強いられています。

 これは一言で言えば「アイデンティティーの消耗戦」です。そのような戦場において断捨離という行為は、スピリチュアルな儀式=厄祓(ばら)いとしての性格をも帯び、骨の髄まで物質主義に染まって拠り所のなさを抱えているわたしたちを、魅了しないわけにはいかないでしょう。

 さらに断捨離ブームを心理面で後押ししているのは、個人化という現代の宿命に基づく「快適さへの関心」であり、「(本来アイデンティティー形成の材料の宝庫である)世の中」よりも、「自分の身体や食生活、住空間」に焦点を合わせる傾向なのです。

 社会学者のジグムント・バウマンはこれを「自己への回帰」と呼びました(『退行の時代を生きる』伊藤茂訳、青土社)。カオスでコントロール不能な「外部」に無謀な体制転換を要求したり権利闘争を仕掛けるよりも、等身大の“箱庭”のような存在である自分のプライベートルームを仕様変更する方が、ささやかながら主観的な幸福感は満たされるということなのです。

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