沖縄タイムス・デジタル部記者
1982年那覇市生まれ。2019年3月首都大学東京大学院卒業。2007年沖縄タイムス社入社、こども新聞「ワラビー」担当、社会部を経てデジタル部。
白米のおかずにフライドチキン。お正月も高校合格のお祝いもフライドチキン。ケンタッキーフライドチキンの1人当たりの消費量が全国一の沖縄県民。生活に根付くソウルフードをめぐって、コンビニ、スーパーなども“チキン戦争“に参入し、しのぎを削っている。しかしながら、那覇市の一世帯の鶏肉消費量は意外にも44位。あんなにも食べているイメージなのに、実際は?(デジタル部・與那覇里子)
沖縄大百科事典によると、戦前の沖縄には、鶏肉文化はなかったようだ。1935年の沖縄には、家畜としてのニワトリが35万羽いたものの、産業には発展せず、庭先で育てる程度。そして、沖縄戦で4万羽のニワトリが生き残り、そこから沖縄の鶏の歴史はスタートする。1961年、戦前の飼育頭数と並んだものの、このころは「卵」が主だった。
沖縄の鶏肉事情に詳しい沖縄県食鳥処理協業組合の赤嶺浩理事長によると、沖縄で鶏肉が流通するようになったのは、時期ははっきりしないものの米軍統治のころ。米国産の冷凍品から始まったという。丸々一羽、もしくは骨が付いた「もも肉」だった。
「今も人気のある鶏の丸焼きは当時から12〜3店舗あるが、このような歴史も影響している」
沖縄では、米軍の家庭で働いていた女性や料理講習会などで米軍の食文化に接する機会が多く、フライドチキンは県民も積極的に取り入れていたようだ。
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