新型肺炎が教える中国ビジネスのリスク 情報公開が遅れる中国との付き合い方新型肺炎が教える中国ビジネスのリスク(2)(4/5 ページ)

» 2020年03月04日 05時00分 公開
[島崎晋ITmedia]

独裁、人治、覇権 それでも付き合わざるを得ない隣人

 中国では、上の意向しだいで約束や契約を反故(ほご)にすることを厭(いと)わない。私が留学していた80年代には、日本人留学生が寮設備や食事の改善を申し入れても、現場には決定権がないから、日本語の「善処」や「前向き」にニュアンスの近い「研究(イエンチュウ)」の一言で済まされ、なかなか上申さえしてもらえなかった。

 中国が経済大国の地位に躍り出てからはかなり変質したとはいえ、上の意向次第で、一夜にして状況が変わる点は現在も同じである。このような独裁体制の弊害を中国の伝統に帰する向きもあるが、それは大きな誤解である。そもそも中国の歴史上、中華人民共和国の統治体制は極めて異例なものだからだ。

 中国史上の独裁体制といえば、宋王朝と明王朝が有名だが、それはあくまで過去と比較した相対的なものにすぎず、宋と明の独裁は官僚の世界に限られていた。社会も末端まで、路地裏の隅々まで統治が及ぶようになったのは中華人民共和国が初めてで、それまでの中国社会は地方自治により成り立っていた。

 18世紀、フランスの思想家ヴォルテールは中国の科挙システムを高く評価していたが、実のところ、明・清の時代でも地方に派遣される正規の役人の数は、現在の地方政府のそれに比べて極端に少なく、地方の統治は各地の名望家を通した間接的なものというのが現実だった。

 中国には長い自治の伝統があるのである。それを根底から覆したのが中華人民共和国なわけだが、それに加え、1990年代以降の中国は覇権を強く意識するようになった。

phot 清の第6代皇帝、乾隆帝(けんりゅうてい)

 中華王朝が東アジアの覇者であったのは、統一王朝でいえば漢、唐、明、清の時代になるが、なかでも清の乾隆帝(けんりゅうてい、在位1735〜1795年)時代には周辺諸民族を多く支配下に収め、多民族を包摂した「中華帝国」と呼ぶに相応しい存在となった。

 外モンゴルと台湾を除けば、現代中国は乾隆帝時代の版図を受け継ぎ、経済力に自信を深めた1990年代以降は、アヘン戦争から建国までの歴史を「屈辱の1世紀」と位置付け、覇権意識を隠そうともしなくなった。名称こそ違え、中華帝国の後裔(こうえい)を自負しているのが現況である。

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