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「電車通勤」の歴史と未来 ITとテレワークで“呪縛”は解けるか杉山淳一の「週刊鉄道経済」(4/6 ページ)

» 2020年05月02日 08時00分 公開
[杉山淳一ITmedia]

通勤手当の誕生と「通勤地獄」

 都心の仕事場、郊外の住宅。人々は賃金の高い職場を求め、地価が安く広くて快適な住宅を求めた。通勤電車は人々の希望と直結する交通手段になった。しかし、戦後の復興の中で、産業は都市に集積、拡大し、郊外住宅地を飲み込んでいく。郊外はさらに遠くへ移転していく。都市周辺の夜間人口は増えて、都心部の夜間人口は減る。ドーナツ現象である。

 高度成長期を迎え、都心部に企業が集中し、成長すると、ドーナツの穴はどんどん大きくなり、その結果、仕事場と住宅は離れた。そうなると、交通費の負担が大きくなって、都心の職場を希望する人材が減る。都心の企業は求人難に陥った。それを解消するため、企業が通勤費を負担するようになっていく。通勤手当と住宅手当は「生活関連給与」といわれており、住宅手当は戦中・戦後から普及していた。しかし、住宅事情の悪化と家賃の高騰に住宅手当は追い付けなかった。そこで通勤手当に振り替えて、郊外住宅の居住を支援したともいえる。

 しかし、住環境が拡大する一方で、今度は通勤手段としての鉄道整備が追い付かない。高度成長期の通勤路線の乗車率は300%を突破した。電車に定員の3倍も乗れるわけはなく、通勤時間あたりの旅客と電車の定員の総量で計算した。実際には大量の積み残しが発生していた。国鉄は「通勤5方面作戦」を掲げ、複々線化、長編成化などの施策を実施。大手私鉄も長編成化を推進した。また、東京都や政府の指針のもと、地下鉄の建設や直通運転が行われた。

通勤地獄……国鉄の遵法闘争が重なり乗客が暴徒化し破壊行為に発展する事件もあった(出典:東京都都市整備局

 こうした施策は現在も続き、乗車率は200%以下になっている。しかし、小池都知事が掲げた「満員電車ゼロ」にはほど遠かった。高度成長期から約60年にわたり、ビジネスパーソンの多くは満員電車が当たり前と考えている。なんとかしてほしいけれども、社会人になったときから通勤電車はこんなものだと。それを承知で職場を選んだのだと。

 私が長野県松本市で学生生活を始めたとき、「下宿先が学校までバスで10分だ」と言うと「なんでそんな遠いところに」と言われた。1時間通勤の都市に住んでいた者として、バスで10分は近すぎるくらいだ。しかしそれが都市だけの常識だと知った。30分以上、ときには小一時間も満員電車に揺られるという状況は、ハワードの田園都市の理想から懸け離れている。健康的な生活とはいえないし、これが当たり前ではない。これは都市の病だ。

通勤5方面作戦……東海道本線に直通していた横須賀線の分離、中央線の複々線化(各駅停車と快速電車)などが行われた(出典:東京都都市整備局

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