「日本人なら国産」のこだわりが、”マスクパニック”を再燃させてしまうワケスピン経済の歩き方(5/6 ページ)

» 2020年05月12日 08時20分 公開
[窪田順生ITmedia]

なぜ「物流軽視」したのか

 このようなサプライチェーンのリスクマネジメントこそが、実はコロナとの「戦争」において最も重要だ。

 著名な戦史家、マーチン・ファン・クレフェルトは、『補給戦――何が勝敗を決定するのか』(中央公論新社)の中で、「戦争という仕事の10分の9までは兵站だ」と述べている。

 「兵站」とは前線の部隊に食料や武器などを供給する後方部隊のこと、要はサプライチェーンだ。クレフェルトの言葉は「戦争」の本質をついている。日本が先の戦争で負けたのもつきつめていけば、サプライチェーンの敗北だ。旧日本軍の兵站(へいたん)は馬車が中心で、大量輸送できるトラックが少なくあまり稼働していなかった。結果、最前線の兵士たちに物資が届かなかった。事実、230万人といわれる軍の戦没者の6割以上の140万が「餓死」だったといわれている。

(写真提供:ゲッティイメージズ)

 では、なぜ日本はそんな「物流軽視」をしてしまったのかというと、「国産」への強いこだわりが物流構築を妨げたからだ。

 陸軍は早くから兵站の自動車輸送化に注目していたが、純国産での自動車開発にこだわった。戦争が長期化した場合、国内で技術開発ができなければ連合国には勝てない。そのような考えから、自国内ですべて完結できるような自動車工業を育成していた。考え方は素晴らしいが、当時の日本の技術はその理想を実現できなかった。その結果が自動車化の遅れにつながってサプライチェーンの敗北を招いたのである。

 つまり、「戦争」というシビアな現実の中で「理想」にこだわり続けたことで、すさまじい数の犠牲者を生んでしまったのだ。

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