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江本孟紀が語る「指導者・野村克也」の人材育成法野村克也と江本孟紀『超一流』の仕事術(1/2 ページ)

» 2020年05月30日 06時30分 公開
[瀬川泰祐ITmedia]
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 プロ野球の名将・野村克也監督が2020年2月にこの世を去った。ヤクルトスワローズを3度日本一に導いた手腕は今も色あせることはない。その卓越した理論と、人間の本質を見抜いた指導法は、野球というスポーツにとどまらず、ビジネスパーソンにとってもリーダーシップや部下育成の方法などの分野で応用可能なもので、まさに後世に残すべき知的財産ともいえるものだろう。

phot 2020年2月にこの世を去った野村克也監督(徳間書店提供)

 その野村の「遺言」ともいえる著書が、元プロ野球選手の江本孟紀との共著『超一流 プロ野球大論』(徳間書店)だ。野村と江本が対談する形で、両氏のプロ野球界についての持論が展開されている。そして「名伯楽とその愛弟子(まなでし)が令和に遺す、最後のプロフェッショナル論」と銘打たれている通り、組織の上司と部下の在り方にも一石を投じる内容だ。

 野村の愛弟子は多くいるものの、江本は野村が監督兼選手だった南海ホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)時代から(ピッチャーとキャッチャーのペアである)バッテリーを組み、50年間以上にわたって親交を深めてきた。生前の野村を誰よりも良く知る江本孟紀にインタビューし、「上司」としての野村がいかなる存在だったかを聞いた。

 江本は野村監督の指導法をどのようにみているのか。前編では選手時代のエピソードとともに、野村監督の人材育成法をひもといてみる。(一部敬称略)

phot 江本孟紀(えもと たけのり)1947年高知県生まれ。高知商業高校、法政大学、熊谷組(社会人野球)を経て、70年に東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)入団。以降、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)、阪神タイガースで活躍。81年、現役引退。現在は野球解説、講演会、執筆活動などを通じて、野球界の発展に力を注ぐ(撮影:山本宏樹)

強者に勝つために野村監督が徹底させた「弱者の戦略」

――江本さんは現役時代、野村監督とバッテリーを組んでいました。野村監督はピッチャーとキャッチャーの信頼で成り立つ関係を「理想のバッテリー」と呼んでいます。江本さんにとって、理想のピッチャーとキャッチャーの関係とはどのようなものでしょうか?

 よくキャッチャーの役目は「(ピッチャーを)リードすること」だと言われますね。でも実際にキャッチャーがピッチャーをリードするのは、ピッチャーが困ったときなんです。球は機械ではなく人が投げているわけですから、どうしても調子が悪くなったり調子が戻ったりするときがある。

 そういう状況を十分に理解していて、それを立て直すのがまさにキャッチャーの仕事なのです。例えば球種や、要求するコース、ミットを構えるエリアなど、ピッチングを立て直す方法をアドバイスするのが、「キャッチャーがすべきリード」なんです。

 配球自体は、もちろんピッチャーが自分の持ち球を知っているわけですから、自分が一番よく分かっています。自分の持ち球や得意なボールも当然知っています。でもその得意なボールも日によって若干調子が悪いときもある。だからキャッチャーはその日のピッチャーの調子を瞬時に察知してどのボールを投げさせるべきなのかを、サインに反映させるわけです。「阿吽(あうん)の呼吸」といいますか。だからキャッチャーにはピッチャーが投げやすい球を要求する感性が必要です。

 やっぱりマウンドに立つと、その時々で環境が変わります。状況によって緊張感も変わります。人間の邪念みたいなものが出てくると、集中力を欠いてしまうこともあります。マウンドとは、そういう場所なんです。その点、キャッチャーは唯一、冷静でいられるポジションなのです。ピッチャーの変化を感じ取りどう立て直すか、この呼吸がぴったり合うかどうかが理想のバッテリーのポイントです。だからよく言われるように何でもかんでもキャッチャーがピッチャーをリードすればいいということではないのです。

 その点で、現役時代の野村監督のリードは抜群でした。

phot

「シンキングベースボール」の意味

――現役のころ、江本さんは野村監督に、ブルペンでキャッチャーをやらされたそうですが…。

 野村監督は常に僕らに「シンキングベースボール」という、考える野球を標ぼうしていました。特に強調していたのは、相手の力と自分の力を比べて、(自分の力の方が)足りなかった場合には「何か工夫をしろ」ということです。

 また、ピッチャーには、「投げるだけではなく、ボールを受ける立場になって考えろ」と言い続けていました。マウンドからストライクゾーンのギリギリのところにボールを投げても、審判が「ボール」と言うこともある。それが本当に「いい球」だったのか、実はボールが少しストライクゾーンから外れていたのかは、キャッチャーの側から見ないと分からないというわけです。

 私がブルペンで投げているとき、野村監督はこう言っていました。「キャッチャーとして1回球を受けてみろ。相手の立場を実際に経験してみると、投球にも役立つ」と。だからたまにはキャッチャーをやることもありましたね。

――相手の立場を知るというのは、ビジネスの世界での「部下の育成」にも通じるところがありますね。野村監督の育成術とはどのようものだったのでしょうか?

 本来は力があるのにくすぶっている選手や、力を発揮できなくなってしまった選手を復活させる術をたくさん持っている方でした。逆に言えば力のない人を育成することは野村監督には難しい。

 例えば、若い選手であれば、どんなに素晴らしいボールを投げるピッチャーであっても、あらゆるサインをきちんと覚えられないうちは絶対に一軍には上げませんでした。高校を卒業して間もないピッチャーは、複雑なサイン交換をした経験がないので、レベルアップするまでは二軍で教え込むんです。育成という言葉が良いかどうかは分かりませんが、プロのレベルで戦うためにやるべき最低限のことは徹底してやらせるという姿勢を持っていたと思います。

 また、成績が落ち込んでいるベテラン選手でも「こいつは再生できるかも」と思えば、タイミングを見計らって、特長だった部分を再び生かすような指導をしていましたね。例えば、カーブが得意だったピッチャーに対しては、カーブを待っているバッターにストレートを2球続けて投げることによってバッターを驚かせます。その導き方がとてもうまい。野村監督の指導で生き返った選手はたくさんいました。

 別の言い方をすると、「視点を変える」のがとても上手だったのだと思います。長所を伸ばすのはもちろんですが、弱点をどうカバーするかということ、力の差をいかに埋めるかを常に考えさせていましたね。自分が劣る部分があっても、相手を研究したり、癖を攻めたりして穴埋めをするという作業を徹底して行うように指導していたように思います。

――成果を上げるように導きながら、成功体験を積ませて育成していたというのは非常に興味深いですね。

 面白いのは、野村監督は「キャッチャーを貫いてきた人」ですので、「騙(だま)す」ことにも長けた方でした。「騙す」という表現はおかしいかもしれませんが、キャッチャーの特性ですよね。大したことがないピッチャーのボールを、良く見せようと錯覚させたりね。

 現役のころ、私が先発したときに、ベンチに戻ると相手のバッテリーばかりを褒めることがあったんですよ。「何でそんなことばっかり言うんだよ」と、カリカリしながら投げていたら、結果的に私は相手を完封してしまったんです。どうやら、相手を褒めることで、僕に発奮させようという意図があったようです。野村監督は、そういう手も使う人なのですよ。

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