木村花さん事件とトランプ対Twitterと「遅いSNS」星暁雄「21世紀のイノベーションのジレンマ」(4/4 ページ)

» 2020年06月03日 07時00分 公開
[星暁雄ITmedia]
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英国は「SNSを遅くせよ」と提言

 このような複雑な問題を考える上で、興味深い材料がある。英国のデジタル・文化・メディア・スポーツ省(DCMS)が、18カ月に及ぶ検討結果を取りまとめ、2019年2月に公表した「フェイクニューク対策に関する最終報告書」である。

 報告書はSNS事業者の責任を定め、有効なフェイクニュース対策を取るための規制団体を作るよう提言している。その背景には、ケンブリッジ・アナリティカ社のスキャンダルがある。同社はFacebookユーザーの情報を収集して不正に利用し、大勢のFacebookユーザーに政治的メッセージを与えて意見形成に影響を与え、英国のEU離脱に関する国民投票や米国の大統領選挙に影響を与えた疑惑が持たれている。報告書はFacebookやケンブリッジ・アナリティカ社を名指ししつつ、このような事件の再発を防ぐための本質的な対策を提案している。

 問題意識として、SNS上の意図的な情報操作は人々の意見を偏らせ、「客観的事実に基づいた合理的な議論を行うための共通の基盤を弱めてしまう」「私たちの民主主義の構造そのものが脅かされる」と、報告書はずばり指摘する。放置していてはこの傾向は正せない。そこでSNSを運営するテクノロジー企業に対して「デジタル領域での透明性を高める」こと、そして「技術の専門家を交えて作成した、独立した規制機関の監督のもと強制力を持つ倫理規定の確立」を求めている。これは放送コードのように明文化された倫理規定を定め、独立機関により運用するという構想だ。この業務を支援するため「テクノロジー企業に割賦金を課すべき」とも提言している。大胆な内容といえる。

 報告書がこのような厳しい提言をしている背景には、テクノロジー企業が「私たちの心と社会を乗っ取っている」ことへの危機感がある。そのため、デジタルリテラシーは、読み書きや数学と並ぶ「教育の第4の柱となるべき」と指摘する。

 報告書の末尾には、政府が取るべき対策を記した「勧告」が記されている。その中に、非常に印象深い提言がある。SNSをもっと「遅く」せよ、利用者に考えるための「時間を与えよ」と提言しているのだ。

 今までのSNSの進化の過程は、直観的な操作で素早くレスポンスできる技術を運営会社どうしが競ってきたところがある。「脊髄反射」や「即レス」といった言葉がよく使われていることから分かるように、ゆっくり考えるよりも素早く書き込んだ言葉の方がSNSでは優勢だ。一方、英国の報告書では、プラットフォームの作り自体を変え、利用者が立ち止まって考える時間を与えるように求めている。

 英国の報告書が、民主主義への危機意識を述べていたことを思い出してほしい。民主主義の理念では、価値観を共有した人々の話し合いが基盤だ。話し合いのインプットとなるのは、熟慮の材料を与えてくれるメディアだ。SNSもまた、多くの人々の意見形成に影響しているという意味では、民主主義の構成要素となっている。熟慮を重視する考え方から、SNSを「遅く」せよ、「時間を与えよ」という発想が出てきたものと考えられる。

 SNS規制のように、複雑で新しく社会全体に影響を与える重要な問題に取り組むには、目の前の実態("As Is")とは別に、あるべき姿("To Be")を思い描くことが求められる。SNS規制についていえば、私たちの民主主義のあり方とメディアのあり方を原則に立ち返って思考することが求められるだろう。それは簡単ではないが、必要なことなのだ。

筆者:星 暁雄

早稲田大学大学院理工学研究科修了。1986年日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。『日経エレクトロニクス』『日経Javaレビュー』などで記者、編集長の経験を経て、2006年からフリーランスのITジャーナリスト。IT領域全般に興味を持ち、特に革新的なソフトウェアテクノロジー、スタートアップ企業、個人開発者の取材を得意とする。最近はFinTech、ブロックチェーン、暗号通貨、テクノロジーと人権の関係に関心を持つ。

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