大学もオンライン授業になってしまい、もう2カ月ほど、ほとんど妻としか顔を合わせない生活を送っている。そんなとき懐かしい男から久しぶりの連絡があった。10年ほど前になるだろうか。僕がまだ今よりは若い研究者であり、彼もまだ学生であったときによく一緒に遊んでいた男である。
「あの店、閉店するらしいですよ」
昔彼らとよく何時間も暇をつぶしていた大学近くの喫茶店が閉店するらしい。白い大きな猫といつも退屈そうに欠伸(あくび)をしている髭のマスターのいる店。この時勢である。悪い予感はあった。恐らくいま全国で、そして全世界で多くの人が受け取っているであろう、なじみの店が廃業するという知らせ。それがついに僕にもやってきたのである。
そして、その知らせを届けに来た男。学生時代には、先輩たちがリクルート・スーツに着替えて就職活動にそわそわし始めるのを横目に、部室の破れたソファでギターを抱えて「俺はギターさえ弾いていられるなら、それでいいんですけどね」などとうそぶいていた男である。数年前に件の店で偶然に再会した際には、たしか京都のゲストハウスでマネジャーのようなことをしていると言っていたが…。
「そういえば、いま君はゲストハウスで働いてるんだっけ?」
「いや、あそこは潰れました」
「あー、やっぱり」
思わず彼には失礼な返事をしてしまった。しかし、ゲストハウスが閉店したと聞くと、つい「やっぱり」という言葉が口からこぼれ落ちてしまうくらい、いま京都の宿泊業界が未曽有の危機に瀕(ひん)しているのも事実である。
とくにゲストハウスという「宿」の形に注目して京都からコロナ時代の観光を考える本稿であるが、その前にまず京都の現状を少し整理してみよう。
2020年に開催されるはずだった東京オリンピックを翌年に控えた19年、日本の観光産業のGDP寄与額は既にイタリア、フランス、イギリス、ドイツを抜き、米中に続く世界第3位にまで達していた。
そして同年には日本を訪れる外国人旅行客は3200万人に迫り、政府が掲げてきた「2020年度 訪日外国人旅行者数4000万人」という強気な目標の達成もいよいよ現実味を帯び始めていた。
しかし、よりによって観光立国・日本の節目となるはずだったその2020年を狙い打つかのように、コロナ禍と呼ばれる災害が世界を襲う。
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