コロナで京都のゲストハウス「絶滅」危機――“古都にふさわしくない”宿は駆逐されるのか京都在住の社会学者が迫真ルポ(5/5 ページ)

» 2020年06月04日 08時00分 公開
[中井治郎ITmedia]
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京都にゲストハウスは「ふさわしくない」のか?

 一方で19年秋、京都市長選を見据えた現職市長から、宿泊施設の政策的選別を示唆するような「お宿お断り宣言」が飛び出したことは記憶に新しい。そもそも京都簡易宿所連盟も、京都市が導入した宿泊税制度について「価格帯の低い宿泊施設の利用者に対する負担が不当に大きすぎる」という問題意識から出発した組織であるという。

 その後に実施される「駆け付け要件」、そして現在の宿泊業への支援策の要件などについても、近年の京都市の一連の施策は一貫した方向性を保持している。それは「お宿バブル」を経(へ)た現在の京都で、「京都の宿」ブランドを立て直そうとするものであり、「どのような宿が京都にふさわしいのか」を示しながら市が率先して宿泊業界の再編に手を入れるものである。

 では、そこではどんな宿が「ふさわしい」と考えられ、どんな宿が「ふさわしくない」と考えられているのだろうか。

 「とくに我々への風当たりの強さはひしひしと感じます」

 これが京都簡易宿所連盟の副代表として市との交渉にあたってきたルバキュエール氏の実感である。コロナ禍にあえぐ京都の観光、そして京都の宿泊業界の復興を考えるとき、その背景には、「京都にふさわしい宿とは何か」という「宿」文化を巡る戦いが進行しているという視点は重要である。

 そして恐らくその主戦場は簡易宿所、とくにゲストハウスを巡る戦線になるのではないだろうか。大きな災害の後に区画整理や都市の再開発が一気に進められたこれまでの事例のように、今回のコロナ禍が、「ふさわしくない」とされたものを一気に駆逐する契機となる可能性もあるからだ。

「安全なゲストハウス」はゲストハウスなのか?

「初めての一人旅が京都のゲストハウスという人が多いんです。ゲストハウスが京都の最初の思い出になっているんですね」

 ゲストハウスは単なる小さな宿泊施設ではなく、空間や時間、さまざまなものを共有することでそこに集まる人同士の交流を生み出し、極めて個別的な経験でその土地と旅人をつなげる。旅人はゲストハウスで得た出会いを通して、その土地を思い出すときにインスタ映えする観光名所ではなく、少し浮世離れしたスタッフや親切にしてくれた旅人の「●●さんの顔」を思い浮かべるようになる。

 これは他の種類の宿泊施設には代えがたい経験であり、ゲストハウスに特徴的な「宿」文化であり、「ゲストハウスらしさ」ということができるだろう。

 しかし、これからコロナ時代の「新しいゲストハウス様式」を模索する中で、我々は一つのジレンマと向き合わざるを得なくなる。共有というスタイルを廃し、客同士、客とスタッフ、そして客と地域との交流や偶然の出会いという接触を排除したゲストハウスは、確かに安全・安心かもしれないが、果たしてゲストハウスといえるのか?というジレンマである。

 コロナ時代の到来は、我々に、自分たちの生活や文化の何を変え、何を守るのかの決断を迫る。いま世界中の人がそれぞれのジレンマのなかで、自分たちがこれまで何によって生かされていたのかを、絡まった糸を一本ずつより分けていくように確認している。現在進行している「京都にふさわしい宿」を巡る戦いも、そしてゲストハウスが立たされている苦境も、そしてそれを支えようというファンたちも、それぞれ絡まった糸を解きほぐしながら、「らしさ」のありかを模索しているのだ。

 僕も世界中の安宿に思い出を預けてきた一人の旅行ジャンキーとして、この災禍をくぐり抜けて、より「ゲストハウスらしい」姿に磨き上げられた京都の宿に再会できる日を楽しみにしている。

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