アニメ版『ジョジョ』の総作画監督が語るアニメーター業界の「過酷な実態」アニメ業界の「病巣」に迫る【前編】(1/2 ページ)

» 2020年07月16日 19時10分 公開
[伊藤誠之介ITmedia]
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 日本のアニメーションは今や、世界中で注目を集める一大コンテンツ産業となっている。だが一方で、アニメ業界には以前から、低賃金や長時間労働といった過酷な労働環境に置かれているという話も多い。本当のところ、アニメを制作する現場の実態は、どうなっているのだろうか? 

 その疑問に明快な回答を提示してくれる書籍が、2020年初頭に出版された。玄光社刊の『アニメーターの仕事がわかる本』である。この書籍の画期的なところは、アニメ業界の第一線で活躍している現役アニメーターが、著者の1人に名を連ねている点だ。

 西位輝実さんは、専門学校卒業後の1999年からアニメ−ターとして働くようになり、『蟲師』『キャシャーンSins』といった作品で作画監督として活躍。2011年の『輪るピングドラム』で初めてキャラクターデザインを務めた後、『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない』や『劇場版はいからさんが通る 前編 〜紅緒、花の17歳〜』でもキャラクターデザインを担当している。

 『アニメーターの仕事がわかる本』では、フリーライターの餅井アンナさんによる質問に西位さんが回答する形式で、アニメーターの仕事の具体的な内容からその労働環境、そして収入や報酬単価といった数字に関する話まで、アニメ業界の最新事情が生々しく語られている。その中には、「本人は会社員と思っているが実際はフリーランス」といった具合に、一般社会の常識とは大きくかけ離れている面も少なくない。

 そこで今回は、西位輝実さんにインタビューし、アニメ業界の実情についてより詳しく聞くと共に、この書籍を手がけた理由や西位さん個人の現在の働き方といった、書籍には出てこない部分まで掘り下げている。その中にはNetflixをはじめとする、近年の日本アニメに進出している海外資本のビジネスについても聞いた。

 なお、このインタビューは20年2月に行われたものである。7月現在、アニメ業界も新型コロナウイルスの影響を大きく受けており、4月スタートのTVアニメの多くは、放送中断や延期を余儀なくされた。とはいえ、ここで語られているアニメ業界に対する提言は、新型コロナ以後においても重要なものとなるはずだ。

phot 西位輝実(にしい・てるみ) 1978年生まれ、大阪府出身。大阪デザイナー専門学校を卒業。スタジオコクピットを経て、フリーランスのアニメーターとして活躍。現在は作画監督、キャラクターデザインをメインに行い、主な担当作にNetflix『聖闘士星矢: Knights of the Zodiac』、劇場版『はいからさんが通る』『ジョジョの奇妙な冒険 Part4 ダイヤモンドは砕けない』などがある。オリジナル漫画『ウロボロスの冠』をWebサイトにて配信中

編集者にアニメ業界の「常識」を話したら、ドン引きされた

――西位さんが『アニメーターの仕事がわかる本』を執筆することになったきっかけは?

 玄光社さんがこの本よりも前に作った、『駆け出しクリエイターのためのお金と確定申告Q&A』という本がきっかけなんです。玄光社さんはもともと、アニメーターの書籍をたくさん出されていて。それでクリエイターに向けた確定申告の本を作る時に、私が確定申告の説明会を開いているということで、インタビューを受けたんです。その時にアニメ業界の話をしたら、けっこうドン引きされて(笑)。

――「ドン引きされた」というのは?

 アニメ業界の雇用に関する常識が、あまりにも一般社会とは違っていたみたいで。私自身もこの本を出すまで、具体的には知らなかったんですけど。

 アニメ業界って、ギャラが安いことにみんな文句を言っていますけど、業務形態に関しては特に不満には思わないというか、世間の常識とあまりにも違っていることに気づいていないんですよ。アニメ業界全体が完全にムラ社会化していて、世間から孤立している状態なので。『アニメーターの仕事がわかる本』の中にも、「アニメーターは自分のことをフリーランスだと思っていない」「確定申告をしたことがない」という話が出てきますけど、それを問題だとは思っていないことが、アニメ業界のいちばんの問題だと思います。

――そうなんですね。

 玄光社の編集者さんがインタビューに来られた時に、そういった話をしたら「アニメ業界ってスゴイですね」とすごく驚かれて。「それを本にしましょう」とオファーをもらったんです。ちょうど1年ぐらい前のことだったと思いますけど。

――先ほどのお話にもありましたが、西位さんは以前から、若いアニメーターさんに向けた確定申告の説明会を開いているそうですね。

 はい。アニメ業界があまりに世間の常識と違うので、4月に新入社員として……実際には社員ではないんですけど、新しくアニメ業界に入ってくる人に向けて、確定申告の説明会を開こうと思ったんです。私のお世話になっている税理士さんがすごくいい人で、「やりましょう」と言ってくださったので。

 それで確定申告の説明会と一緒に、アニメーター限定の交流会という、まぁ言ってしまうと飲み会も開いたんです。そうしたらとても飲み会とは呼べないぐらいの、ちょっとしたイベントみたいな人数になってしまって(笑)。

――開催当時の西位さんのツイートで拝見したのですが、200人も集まったとか?

 はい。さすがにそれだけの人数になると、お店が見つからなくて。本当はホテルかどこかのパーティー会場を借りないといけないんですけど、そうすると参加費が7000円ぐらいになって、新人のアニメーターには払えなくなるので。それでなんとか安く抑えようと、居酒屋を貸し切る形になったんです。全員が会場に入るのに30分、出るのにまた30分ぐらいかかっちゃって。

――ちょっとした同人誌即売会みたいな規模ですね(笑)。アニメーターだけに限定してその人数だから、スゴいですよね。それだけの人数が、確定申告について知りたいと思っていたのですか?

 確定申告について知りたいと来てくれたのは、若いアニメーターの子たちなので、30〜40人ぐらいですね。それ以外の人たちがこれほど交流会に集まってきた理由は、正直、私もよく分からないんです。アニメーターは自宅作業も多いので、他の人とのつながりを求めているのかもしれないですね。

――アニメーターさんの場合は、同業者どうしの横のつながりで新しい仕事が来る場合も多いと聞いているので、そういった関係を求めて集まってきたのでは?

 交流会を企画したもともとの意図は、そういうことですね。ただ、その後に追跡調査をしたりしているわけではないので、参加した人が実際に仕事でプラスになったのかどうかまでは、分からないですけど。

 自分はアニメーターの先輩・後輩の関係ですごく育ててもらったと思っているので、アニメーター同士でつながっていたほうが、お互いにメリットがあるだろうなと。制作進行の人は、仕事を発注してはくれるけど、絵の技術を教えてくれるわけではないですから。

同人誌を作ったことで「お金の処理」に気づいた

――確定申告の説明会を開いたりしているということは、西位さんは以前から、アニメーターの働き方に対する問題意識があったのでしょうか?

 それに関してはいろんな要素があるんです。最初のきっかけは、12年に同人誌で自分の画集を出した時ですね。ちょうど『輪るピングドラム』が終わった後の時期で。

――逆に言うとそれまでは、西位さん自身もそこまで意識はしていなかった?

 そうですね。同人誌を出すまでは、銀行振り込みではない現金収入を、そんなに手にすることがなかったので。アニメーターの仕事は在庫もないですし、仕事にかかる経費もそんなに多くはないですから。でも同人誌だと、実売とか在庫とか、いろんな数字が関わってきちゃうので。

――確かに規模の大きな同人サークルを運営すると、小売りの自営業を突然始めたような感じになりますよね。

 そうなんです。さすがに「自分1人では無理だ」と思って、税理士さんにお願いしたんです。

 そうしたら税理士さんから、自分個人の銀行口座と仕事用の口座を分けておくとか、フリーランスとしてやっておくべきことをいろいろと聞くようになって。それを若いアニメーターさんにも、早めに伝えておきたいと思ったんです。そういうことは最初からやっておけば、後々ラクですから。

 それで最終的には、「ギャランティーの交渉技術を自分で身につけないといけない」という意識を、若いアニメーターさんに身につけてもらいたくて。「自分はフリーランスなんだ、1人親方なんだ」ということを、少しでも多くの人が考えるようになってくれないと、アニメーター全体が良くはならないだろうと。

 だからそれを若い人に伝えることは、回り回って自分のためにもなるはずだ、と思って始めたんです。

スタジオに「所属」していても待遇はフリーランス

――先ほど話題に出たアニメ業界の「非常識」を、『アニメーターの仕事がわかる本』に書かれていることも含めて再確認しますが。アニメーターはスタジオや制作会社【※】の“所属”ということになっていて、スタジオに用意された机に座っていれば仕事が回ってくるんだけど、実際の待遇としては社員でも何でもないフリーランスだと。それなのに本人はスタジオの社員だと思っているから、本来はフリーランスとして必要な、確定申告をはじめとする諸々の手続きをやっていないということですか?

※スタジオや制作会社:アニメーションの実制作を担当するアニメ制作会社には、企画から制作全般を請け負う「元請」の会社、1話単位で下請けの制作を行う「グロス請け」の会社、そして作画や撮影など、セクションごとの下請けを行う会社など、大小さまざまな規模がある

 そういうことです。年末調整をスタジオがやってくれるところもあるんですけど、会社にやってもらうとなぜか、還付金がやたらと少ないんですよね。私の場合、突然3000円ぐらい渡されて「これ何ですか?」って聞いたら「還付金だよ」といわれて。でも自分で確定申告をやったら、10万円ぐらい還ってくるんですよ。年収がまだ120万円とかの頃ですけど。

 なので私はけっこう最初の頃から、自分で確定申告をやっていたんです。ただまぁ、それはさすがに20年ぐらい前の話なので、今はもうちょっと、ちゃんとやってくれるんじゃないかとは思いますけど。

――西位さん自身は、今は完全にフリーランスなんですか?

 フリーランスです。

――西位さんが最初にアニメーターになった時は、スタジオの社員だったのですか? 

 それがねぇ……社員だけどフリーランスなんです(笑)。

 スタジオの先輩からは「社員なんだから、会社がグロスで受けた仕事をやらないのなら出ていけ」みたいなことを言われるわけですよ。でも、じつは社員じゃない。そこが曖昧なんですよね。「社員とはいったい何か?」みたいな(笑)。だって席代を払ってるんですよ。

――「席代」とは?

 スタジオに席を置く代わりに、自分の仕事の報酬の一部を席代として払っているんです。

――その席代のシステムもスゴイですね。そうした待遇について、契約書とかはあるのですか?

 一切ないですね。アニメーターの場合は契約書が送られてきてもたぶん、中身を読めない人が多いだろうと思うんです。私の場合は税理士さんに契約書の中身をチェックしてもらって、それでようやく「この文言は怪しい」というのを指摘していただけるようになったんです。

――「この文言は怪しい」というのは?

 契約書って最初に提示された時は、あまりにも不条理で先方に有利な条件が書かれていることが多いんですよ。それに対して「これはダメです」「変えてください」という交渉が必要で。税理士さんに説明してもらって、私もようやくそのことを理解したんです。

 私自身は交渉が嫌いなほうではないんですけど、それでも契約書は、やはり専門の人に見てもらわないと難しい。それを考えると、一般的なアニメーターさんが契約書をしっかりと読み込むのは、かなり難しいでしょうね。「なんだこれは!」って怒るだけで、差し戻しの交渉はできないんじゃないかと。

 以前、JAniCA【※】の入江泰浩さんとも話したんですけど、最低限、メールで契約書の文言をやりとりして、その経緯を文書として残すことだけでもやったほうがいい、と言っていましたね。

※JAniCA:一般社団法人日本アニメーター・演出協会の略称。「アニメーション制作者実態調査」などを行い、アニメ業界の労働環境問題についても積極的に取り組んでいる。アニメーター・演出家の入江泰浩氏は、同協会の代表理事を務めている

phot 西位さんのオリジナル漫画『ウロボロスの冠』

人手不足の原因「3カ月で終了するアニメが多すぎる」

――アニメ業界は収入が低いとか、労働条件が厳しいという話は、昔からあったように思います。ただ、ここ最近はそうした声が急激に大きくなっていますが、それはなぜでしょうか?

 今までは会社とスタッフの間に、「良い作品を作りたい」という共通の認識があったと思うんです。だから「ここでケンカするよりは、作品さえ良くなるならガマンしよう」という心理が働いていたんだろうと。でも今は、そこが崩れていますよね。

――というと?

 作品の本数が多すぎて、個々の作品にそこまで感情移入できなくなっているんです。少なくとも私に関してはそうなりつつある。

 それから、人手が足りなくて1人にかかる比重が大きすぎるんです。だから「休みがないのでギャラを上げてくれ」という話にもなるし。一方ではそういうことを口約束で承諾しても、実際には払ってもらえない、みたいなことも増えているのかなと。

――今はアニメーターが足りていないのですか?

 全く足りていないと思います。でもそれはアニメーターだけではないですよ。美術【※】さんだって足りないし、いろんな部門で「人手が足りない」という話は聞きますね。

※美術:ここではアニメの背景となる背景美術を制作するセクションを指している

――人手が足りない最大の原因は、先ほど西位さんが言われたように、1シーズンに放映されるアニメの本数が多いからでしょうか?

 そうだと思います。ただ、作品の数自体もそうですけど、1つの作品の放映スパンがもう少し長ければ、まだもうちょっとマシだと思うんです。

――なるほど。今のTVアニメは半年、1年と続く作品が少なくて、1クール(3カ月)で終わる作品がほとんどですよね。1年続く作品でも、3カ月で終わる作品でも、最初に物語を考えたり、キャラクターデザインをしたりするのにかかる時間は、ほとんど変わらないわけですから。

 まだ形ができていない新規の作品にも、準備のプリプロ【※】期間で、大勢のスタッフが関わっているんです。今放映されているアニメの陰で、もっとたくさんのアニメが動いていると思ってもらえば、分かりやすいと思うんですけど。

 作品が1年続けば、プリプロの準備をしていたスタッフも、ローテーションで各話の制作に入ることができます。でも3カ月で終わる作品だと、準備が終わった段階で、そのスタッフには次の作品を準備する仕事が来ちゃうんです。そうすると各話のローテーションには入ることができなくなりますから。

 だから放映されるタイトルが多すぎるというよりは、1クールで終わる作品が多すぎるんですね。昔みたいに同じアニメを1年間続けてくれれば、もうちょっとみんなもこなれてくるし。

※プリプロ:プリプロダクションの略称。アニメや実写などの映像作品において、実制作に入る前に行う企画や脚本、美術デザインなどの準備作業段階を指している

――同じ作品を1年間続けることで、参加しているスタッフのスキルも上がっていくと? 

 もちろんそうです。

――それなのに現在は、3カ月で終わるアニメが多いのはなぜなんですか? 放映中に大ヒットすれば、ずっと続いていくものなんでしょうか?

 ヘタな鉄砲も数撃ちゃ当たるという考えなんじゃないですか。絶対にヒットすると確信できるようなレジェンド級の原作じゃないと、最初から1年間放送すると決めるのは難しいでしょうし。

 放映が始まって最初の数本で、ヒットするかどうかは分かるらしいんですよ。それでもしヒットしないと分かったものを、「予定通りだから」と1年続けていくのも難しいでしょうね。

phot Netflixで西位さんが手掛けた『聖闘士星矢: Knights of the Zodiac』は世界でも人気だ(同作のキャラクター「シオン」のコスプレをする人、写真提供:ロイター)
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