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「生産性という呪い」から逃れた先に待つ、新たな地獄とは労働者の「見捨てられ不安」(2/3 ページ)

» 2020年09月16日 08時00分 公開
[真鍋厚ITmedia]
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「生産性教」に陥る企業戦士たち

 冒頭に列挙した能力開発を謳(うた)うビジネスは、いわば「生産性真理教」と評しても良いぐらいなのですが、これらは「生産性」を崇拝する時代精神のカリカチュアでしかありません。経営者団体にしろ企業にしろ「生産性信仰」の尖兵と化しており、学校に対し「生産性の高い人材を育てよ」と要望する始末です。

 「人間力」「仕事力」「突破力」――要するに、これはいかなる環境にも直ちに適応することができる創造性と協調性を兼ね備えたタフネスであり、新自由主義の砂漠でもポジティブシンキングで乗り切れる新しい企業戦士像に過ぎません。彼・彼女は、例えクビになっても引く手数多で、なんなら仲間とベンチャーを興し、社会貢献にまで乗り出します。最近しきりと見聞きすることが多くなった「アップデートせよ」という市場の掛け声の裏には、自己責任論がもてはやされる現代において最も好都合な「コスパの良い」人材モデルがあるのです。

 とはいえ、独り歩きする広義の「生産性の高さ」なるものは、必ずしも社会全体にとってプラスには働きません。営業成績でトップをひた走る優秀なプレイングマネジャーが、実はパワハラの常習犯で部下や新人を「つぶしている」例が典型です。せっかくの貴重な人材を何十人とメンタル不調に追い込んでいても、その部門における生産性に問題がなければ容認されていたりします。

 さらにマクロな視点で見てみれば、この問題の根源的な危うさが浮き彫りになります。例えば、コロナ禍に伴う経済活動の停滞で大気汚染が改善されているケースです。米スタンフォード大学の研究によれば、中国で最大約7万人の汚染による死者を減らすことになったと推計されており、世界各国でも同様の傾向が報告されています。

 ここで判明したのは、実は「コロナ禍以前の世界」では、大気汚染による死者に代表される環境や人命、文化・慣習への破壊的影響を抑えるよりも、市場で「バズって」消費される物やサービスを作り出すポテンシャル、実行力が優先されてきたという事実です。

 構造上、仮にそれらに結果的に多数の人々や生態系に深刻なダメージを及ぼす懸念があろうとも、絶好の商機を決して逃さず競合を出し抜くことこそが至上命令になってきたのです。何もかもが「コスパ」重視のメリーゴーランドにわたしたちは生きているというわけです。

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