そもそも、生産者余剰とは、販売価格と販売までにかかるコストを踏まえた価格が、受取許容額(原価や機会費用)を上回っている状態をいう。つまり、仮に収支が額面でプラスになったとしても、例えば時給換算で20円になるような収入しかもたらさない場合は、その業務に労力を割くことは効率的ではない。この場合、何もしないか、他の業務を行う方がよいと考える売り手が多いだろう。
今回の白菜農家の事例を考えてみると、確かに白菜の価格は大幅に下落しているものの、売却さえすれば一定の対価は得られるはずだ。しかし、一玉あたりの利益が数円といった場合、労働にかかる機会費用は小さくなるといえる。仮にいくらかで売れたとしても、受取許容額を下回っている以上は、農家の生産者余剰はマイナスであり、市場に出荷しないという選択となる。そもそも、箱詰めして輸送するための原価で赤字になってしまうようであれば、市場に出荷することを選択するものはいなくなるだろう。
「野菜を廃棄する」という結果だけをみると、消費者としては「廃棄しなくても売ってくれたら買いたい、売ってくれなくても潰すことはない」という思いが生まれるはずだ。
しかし、余裕がある場合であればまだしも、廃棄によって今季の収入が期待できず、経営が苦しい農家であれば余剰分を近所に安価で販売したり、周辺施設へ寄贈したりといった対応に多くの手間をかける余地は小さい。むしろ、来季のために作付開始しなければ死活問題となってしまう。
このような価値判断が働いた結果、消費者にとっては一定の需要があり、市場で価格を有するはずの野菜が処分されることになるのだ。
ちなみに「廃棄しなくても売ってくれたら買いたい」という消費者の感情も厚生経済学上では真っ当な感情だ。これは生産者余剰の対極の概念である「消費者余剰」という概念から確認可能だ。
消費者は、消費者がそのモノに対していくらまでなら支払えるという「支払い許容額」が価格を上回っていた場合には、消費者余剰がプラスとなる。今回は、野菜が値崩れしており、例年よりも安くなっているため、そもそも価格面で消費者余剰がプラスになりやすい環境にある。問題は、消費者は「その値段だったら買う」場合であっても、農家は「その値段だったら売れない」ということなのだ。
フードロスや食料自給率といった諸課題が山積しているなかで、このような農作物の廃棄問題は一見するとその流れに逆行する行いにも見える。しかし、外食や小売における上記のような問題と比べると、こと農作物については人の手によるコントロールが難しいことで、価格の安定化の最終手段として「廃棄」という選択を余儀なくされていることを十分留意しておく必要があるだろう。
中央大学法学部卒業後、Finatextに入社し、グループ証券会社スマートプラスの設立やアプリケーションの企画開発を行った。現在はFinatextのサービスディレクターとして勤務し、法人向けのサービス企画を行う傍ら、オコスモの代表としてメディア記事の執筆・監修を手掛けている。
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