一部の人は簡単に謝ってしまうと、訴訟などで責任を負わされるという主張をするが、そうした主張をしている人のほとんどは、裁判の経験がない人だろう。少なくとも日本の裁判では、謝罪行為そのものが責任を立証する材料となるケースはほとんどない。
やってもいない重過失を認めて、過失内容について具体的に謝罪するようなことでもしない限り、謝罪したことそのものが訴訟で不利になるとは限らず、むしろ事態を悪化させる作用(本来なら訴訟を回避できたのにできなくなった、謝罪を一切しないので裁判官の心証を悪化させたなど)をもたらす可能性もある。
医療訴訟では、逆に謝罪をしたことが慰謝料を減額させる結果となった判例もあるので、「謝ると必ず損をする」というのは、謝りたくない心理を正当化する言い訳でしかない。
どんな人でも他人に謝罪することは嫌なことだが、しっかり謝罪できなければ結局、損するのは自分自身である。
自分が被害者だったらどう感じるのかについて考えれば、おのずと謝罪の言葉も決まってくるはずだ。仮に、問題を最小限に済ませたいという利己心であったとしても、相手が納得する謝罪の言葉を発することができるのなら、100倍マシだと筆者は考える。
仙台市生まれ。東北大学工学部原子核工学科卒業後、日経BP社に記者として入社。
野村證券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当。独立後は、中央省庁や政府系金融機関など対するコンサルティング業務に従事。現在は、経済、金融、ビジネス、ITなど多方面の分野で執筆活動を行っている。著書に「貧乏国ニッポン」(幻冬舎新書)、「億万長者への道は経済学に書いてある」(クロスメディア・パブリッシング)、「感じる経済学」(SBクリエイティブ)、「ポスト新産業革命」(CCCメディアハウス)などがある。
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