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借金100億円をゼロにした崎陽軒・野並直文社長 横浜名物「シウマイ」を救った“2つの変革”とは?崎陽軒・野並社長、経営を語る【前編】(2/3 ページ)

» 2021年06月18日 15時24分 公開
[伏見学ITmedia]

成果主義に猛反発

 では、具体的に何をしたのか。年功序列の廃止に加えて、社員一人ひとりの成果を可視化するため、「目標管理制度」を取り入れた。

 バブル崩壊後、競争力を失いつつあった日本企業の多くは、欧米流のこうした人事制度や成果主義の導入に躍起になっていた。崎陽軒もその時流に乗ったわけだ。しかし、当然のように社内からは猛反発を食らった。

 「崎陽軒は長年、『家族経営』といわれていました。みんなが仲良くする、家族的な会社なんだと。そこへ成果主義を掲げて、個人個人に具体的な目標を設定するというわけですから、社員はやっていられないとなってしまいました」

 こんなやり方にもうついていけないと、トータルで十数人が退職した。

 「私が社長になって、毎日のように退職願とともに、誰々が退職するという報告書が上がってくるわけです。『俺が社長になったから、みんな嫌でやめちゃうのかよ』と思いましたね」。野並社長はこう打ち明ける。

 バブル崩壊といっても、当時はまだまだ人手不足だった。長年勤めた社員が次々と辞めるのは、正直こたえた。それでも、崎陽軒の歴史の灯を自分の代で消してはならないと、野並社長は変革の手を緩めるわけにはいかなかった。

「売れたら困る」という声

 もう1つの改革は、マーケティングの手法を経営に取り入れたことである。

 創業当時から、客ありきの商売をしてきた崎陽軒だ。マーケティングという言葉はなかったかもしれないが、当然、シウマイを売るための戦略は立てていたはずである。

 「ところが、(高度成長期などを経て)作れば売れるという時代になってしまい、生産志向に陥っていました」と野並社長は振り返る。

 そうした状況で「売り上げを伸ばすためにはマーケティングだ!」と声高に叫んでも、当時の幹部社員は何を言っているのだという目で見ていたという。

 「消費者に直接ビジネスを展開する企業として、マーケティングの発想なしに、経営できるわけがありません。だから業績が落っこちてしまった。社員のマインドチェンジを図るとともに、目に見える形で広報・マーケティング部という具体的な組織も立ち上げました」

 例えば、3C(顧客、競合、自社)や4P(製品、価格、流通、プロモーション)といったマーケティングの基本的な考え方を身に付けさせ、幹部社員にも経営会議で営業報告させるなど、ガラリと仕事のやり方を変えた。

 顧客の声を拾って新商品開発の知恵を絞り、販売戦略を考えるといった日々が続き、マーケティングの発想が徐々に社内で浸透してきた。すると、思わぬところから横槍(よこやり)が入る。

 「こんな新しい商品を作ったらどうだろうと製造部門に尋ねると、『売れたら困る』という返答が来ました。今でもこれだけ忙しい思いをしているのに、新製品を出して、それが売れたら、余計な仕事が増える。だから困るのだと平気で言うわけです」

 それだけ生産志向に陥っていたという証左である。ここまでくると、もう強引に意識を変え、商品開発を推し進めるしかない。野並社長は、「えびシウマイ」「かにシウマイ」といった新商品を作ったり、通年で同じシウマイ弁当だけ販売していたのを、季節ごとにバリエーションを増やしたりした。そうした施策が消費者の心をとらえ、売り上げの改善につながった。

えびシウマイ(出典:崎陽軒サイト)

 経営改革の一環として、大卒採用を始めたのもこのころである。それまでは中卒、高卒しか採用していなかった。製造現場からの叩(たた)き上げを重視していたからだ。まれに縁故で入ってくる大卒もいたが、ごく少数だった。

 「けれども、長い目で崎陽軒の将来を考えると、優秀な大卒も必要だと思い、96年ごろに本格的な採用に乗り出しました」

 そうして採用された大卒社員は、広報・マーケティング部門などでも活躍することとなり、崎陽軒の組織はどんどん刷新されていった。

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