「一期に一度の参会」から、「一期一会」という言葉を生み出したのは、安政の大獄で有名な幕末の大老井伊直弼です。
井伊直弼は『茶の湯一会集』を次のように始めています。現代語訳で紹介しましょう。
この書物は、一会の茶の湯における亭主と客の心得を、始めから終わりまで詳しく書き表している。ゆえに題号を「一会集」とした。
なお、「一会」には深い意味を込めた。そもそも茶の湯での人と人との交わりは、「一期一会」といって、たとえ何度同じ亭主と客が交わっても、今日の会は二度と繰り返さないことに思いをいたせば、実に自分の一生に一度の会である。
だからこそ、亭主は万事に心を配り、少しでも遺漏がないように深く切なくなるくらいに自分の誠実を尽くし、客もこの会にまた出会うことはないと覚悟して、亭主の趣向の何一つとしておろそかにせず、その心を読みとり、誠実に交わるべきである。
これを「一期一会」という。一服の茶を喫する会といっても亭主も客もなおざりにはできないはずである。これが、「一会集」の極義である。
(※訳・改行は筆者による)
井伊直弼は、『山上宗二記』の利休の教えを「一期一会」という熟語に凝縮させたのです。『山上宗二記』では、「一期に一度の参会」とあり、それを「一期(に)一(度の参)会」と縮めたと推測できるのは、直弼の蔵書に『山上宗二記』があるからです。
両者を比較してみれば、直弼が、亭主にとっても大切な心得であると強調していることが浮かび上がります。
「一期一会」は、参加者だけでなく、主催者にとっても大切な心得として受け止めなければいけないのです。
茶会で亭主をつとめることは、会議でプレゼンテーションをすることにも似ています。初めてのプレゼンテーションの時には緊張しても、経験を積むごとに良くも悪くも慣れてきてはいませんか。
役員会でのプレゼンテーションは緊張するけれども、顔見知りの部内だけのプレゼンテーションは「まあ、なんとかなるだろう」と思い少しだらけてしまっている……などということがあれば、利休が『山上宗二記』に残した言葉が、胸に刺さるはずです。
部内の同僚を社長や役員だと思いなさいというのが、利休のアドバイスならば、井伊直弼の思索は、あらゆる出会いは、そもそも一生に一度きりのものであると哲学的に昇華されています。
直弼が現代に生きていたら、いつものメンバーの定例会議でも、二度とない会議だと思って臨みなさいと諭していることでしょう。対面、オンラインに限らず、会議に臨むときには、「一期一会」と唱えてみてはいかがでしょうか。
出会いが本質的にどうであるかは別にして、受け止め方が大切なのは変わりません。それだからこそ、「一期一会」の言葉は茶会の受け止め方を離れて応用されているのだと申せましょう。
田中仙堂 1958年、東京生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。大日本茶道学会会長、公益財団法人三徳庵理事長として茶道文化普及に努める傍ら芸術社会学者として茶道文化を研究、茶の湯文化学会理事。(本名 秀隆)。著書に『茶の湯名言集』(角川ソフィア文庫)、『お茶と権力』(文春新書)、『岡倉天心『茶の本』をよむ』(講談社学術文庫)、『千利休 「天下一」の茶人』(宮帯出版社)『お茶はあこがれ』(書肆フローラ)、『近代茶道の歴史社会学』(思文閣出版)他。
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