さて、日本人が果物をあまり摂取しない原因に、果物がスイーツと同じデザートに分類されているからだという説がある。それならば、いっその事、果物を丸ごと使ってスイーツにしてしまえば受け入れられるのではないだろうか。
フルーツ大福は、まさにそのような発想の商品で、発明といって良いだろう。昭和後期にはイチゴ大福が生まれたが、黒いあんの大福だった。今日のフルーツ大福は、白いあんを使用し、果物のサイズが大きくてジューシー感が卓越した商品がヒットしている。和菓子において主役のあんが、フルーツ大福では果物を輝かせる名脇役として機能している。
また、糸で切って断面の美しさをSNSに投稿して楽しむ商品が、次々登場している。
このフルーツ大福の流行をつくり出したのは、「覚王山フルーツ大福 弁才天」という店だ。
経営は弁才天(名古屋)で、全国に78店を展開している。1号店は19年10月、名古屋にオープンした。コロナ禍の間に、プチ贅沢(ぜいたく)な土産物、自分へのご褒美品として急速に広がった。
商品特徴は、果物本来の味を引き立てるこだわりの白あんと求肥で、市場から直送される果物を手包みしている。白あんは素材の風味を生かして甘さ控えめに仕上げ、求肥には高級羽二重粉を100%使っている。
主役の果物は買参権を取得して、毎日市場で目と手で確かめたものを仕入れる。
餅を切る糸には凧ひもを使用しており、包丁では潰れがちな断面が鮮やかに現れるように工夫した。
弁才天の創業に関しては、大野淳平社長が綴(つづ)った、公式Webサイトにリンクされている「覚王山フルーツ大福 弁才天という文学」に詳細が記されている。
弁財天でなく弁才天なのは、財(お金)よりも才(文学)を大切にしたいと考えているからだ。
フルーツ大福の発想については、名古屋の高級住宅地である覚王山にある、芋菓子屋「覚王山吉芋」に昔から好きだった芋ケンピを買いに行くと、隣の物件が空いているのを発見した。その瞬間にひらめいたといったようなことが書かれてある。大野氏は古着屋、広告PRなどを手掛ける起業家。
「覚王山フルーツ大福 弁才天」のブランディングにあたっては、「老舗の和菓子屋の四代目が立ち上げた新ブランド」をテーマとした。覚王山という由緒正しい土地で、老舗の横に老舗のような顔つきで佇む老舗「感」と「老舗の横戦略」を取った。それが奏功した。
いずれにしても、インスタグラムで映えているだけの一過性の流行にはしたくないという、大野氏の思いが、このWebサイトの文には滲(にじ)み出ている。だからこその和菓子の老舗「感」なのだろう。競合他社が日々増えているが、才が財に勝るか。正念場を迎えてきた。
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