クルマはどう進化する? 新車から読み解く業界動向

新型クラウンはなぜ大胆に変わったのか池田直渡「週刊モータージャーナル」(4/5 ページ)

» 2022年10月10日 08時00分 公開
[池田直渡ITmedia]

売れなかった要因

 という中で、日の丸セダンの雄としてのクラウンは、14代目(12〜18年)まで、王道のセダンにこだわり続けた。しかしながらついに15代目で、世の趨勢(すうせい)に抗いきれなくなって、欧州に追随してクーペ型セダンへと方向転換した。やむを得まい。「クラウンユーザーの平均年齢は、毎年1歳ずつ上がる」と言われるくらい、新規流入顧客がいない。

 そうやって若返り改革が叫ばれたのは12代目(03〜08年)のいわゆるゼロクラウンのときだ。テコ入れによって、確かに一時的にはユーザー層の若返りを果たしたが、その流れは継続しなかった。

 15代目では、腹をくくって欧州式のクーペ型セダンへとかじを切ると同時に、圧倒的な運動性能を手に入れるべく、ドイツのニュルブルクリンク北コースを走り込んでシャシー(車の足回り機構)を仕上げた。ときを同じくして、トヨタはTNGA改革の最中であり、FR用のGA-Lプラットフォームの投入タイミングでもあり、そのシャシーはさすがの仕上がりで、豊田章男社長をして「これがクラウン?」と言わしめる快足ぶりを示してみせた。スポーツセダンとしては出色の出来であったことは間違いない。

15代目クラウン

 トヨタとしては、他社の動向をチェックして、世の中が望むセダンはこういうものではないかと仮説を立て、そういうクルマをつくった。しかし売れなかった。筆者の見解としては、おそらく15代目はクラウン史上空前絶後のシャシー性能であったと思う。あんなに走れるセダンは世界的に見てもそうそうあるものではないし、役物モデルを別とすれば、国内であれを超えるレギュラーモデルが出てくるかどうかはかなり怪しい。

 なのに、何がダメだったか。おそらくアレだけの中身に対して、内外装ともにデザイン的に保守的であり過ぎたことが最大の問題だったと思う。ましてや後席空間を我慢してまで、クーペライクなボディ形状を採用しつつ、犠牲にしたリソースが生かされた「目を見張るスタイリッシュなデザイン」にはなっていなかった。保守層にとってはセダンの流儀に反してリアが狭いことが、革新層にとってはデザインが古臭いことが、敬遠されたのだと思う。

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