正二郎氏は1906年、兄とともに家業である衣類を取り扱う仕立物屋を継いだ。その後は足袋専業で売り上げを伸ばし、18年には日本足袋を設立、22年頃からは地下足袋を取り扱った。地下足袋の底につけたゴムが、タイヤ製造のルーツとなった。
23年に起きた関東大震災後、国内の自動車需要は増えていたが、広く一般に普及したといえるほどではなく、ましてやその大部分は外国産。正二郎氏が社長である兄・徳次郎氏に新規のタイヤ事業立ち上げについて相談した際、徳次郎氏は反対したという。当時の日本足袋の業績は好調だったため、「何もそのような危険な事業に飛び込んで苦労せぬ方がよい」というのがその理由だった。
しかし正二郎氏は折れず、社長に就任した30年にはタイヤ部を設立。さらなる普及が見込まれる自動車の国内市場を国産の製品で支えることは「ゴム工業者たる当社の使命」と語った記録が残っている。
そうして、日本足袋の各部門から選抜した計20人で試作を繰り返し、第1号の「ブリヂストンタイヤ」を開発した。担当者の誰もタイヤの知識が全くない中、輸入機械に添付されていた10枚余りの仕様書を見ながら苦労を重ねた末の成功だった。
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