筆者はこれこそが、京成電鉄の総務部嘱託だった渡辺氏が、社長肝煎りのプロジェクトが開始したタイミングで、役員に起用された最大の理由ではないかと考えている。
もちろん、渡辺氏の武器は「人脈」だけではない。実は先ほどの人物評伝で詳しく紹介しているが、渡辺氏は戦前、小説家をしていて第1回芥川賞候補にもなったこともある。しかし、その後は執筆しておらず、中外商業新報社(現・日本経済新聞社)や交通新聞社を経て、自身で新東京通信社を設立して、『交通レポート』という交通業界のミニコミ紙を発行していた。
このような経緯で、鉄道会社と関係を持つようになった。娘さんによれば、いくつかの鉄道会社から「ウチに来ないか」と声がかかったが、川崎社長の人柄がいいということで、京成電鉄の嘱託になったという。
当時、収入が不安定な作家やジャーナリストが、自身の言論活動を行う傍らで大企業の「嘱託」として、社史編纂や調査レポートなどを書くということは珍しくなかったのだ。
そこで渡辺氏がやっていたのは、主に海外のビジネスモデルや人気のトレンドを調べる、今でいえばマーケティングリサーチのようなことだったという。そのような調査手腕を川崎社長が買って、ディズニーランド誘致プロジェクトに抜てきされた可能性もある。
渡辺氏の娘さんは20歳ごろ、米国のディズニーランドの視察に同行した。そこでイッツ・ア・スモールワールドに乗って、「これは日本でも絶対にウケる!」と父に進言したという。渡辺氏も娘の意見に真剣に耳を傾けて、メモをとっていたそうだ。
日本にディズニーランドを誘致するプロジェクトには、多くの「名もなきビジネスパーソン」が関わって、尽力してきた。その中には、芥川賞候補にもなった元ジャーナリストで、正力松太郎や有名総会屋などとも交流をした渡辺氏のようなユニークな人材もいたのである。
こんな型破りなチームだったからこそ、実現不可能と言われたプロジェクトは成功したのかもしれない。
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