冒頭でも触れましたが、将棋や囲碁でもいまや人間よりAIの方が強くなりました。しかしながら、プロ棋士という仕事はなくなっていません。プロ棋士同士が見せてくれる熱戦はいまも変わらず人々を引きつけ、藤井聡太六冠のようなスーパースターが生まれています。それもまた、人間と人間の勝負だからこそ生み出される価値があるからに他なりません。
このように、担い手が人間であること自体に価値がある仕事は人間自身にしか行うことができず、AIや機械で代替することは不可能なのです。
身近な事例では、顧客におわびする業務も挙げられます。怒り心頭になっているところに送られてきたおわびの文面が、チャットボットによる自動送信だったとしたら顧客の怒りは収まるでしょうか。その文言がどれだけ丁寧だったとしても、送り手が人間ではないと判明したら、顧客は「軽んじられているのか!」と感じて、却って火に油を注ぐようなことになりかねません。
最後は、仕事における責任について。生成AIの登場は、AIがこれまで人間にしか担えなかった高度なタスクでも代替できる可能性を示しました。いまは個人情報の不適切利用や著作権の侵害といった運用上のデリケートな問題が浮かび上がっていますが、ルールが整備されるとともに、AIはさらに職場の中に浸透していくと考えられます。
そして、やがて仕事上の意思決定に重大な影響を与えるようになりかねません。かつて、ドラマ『ハケンの品格』では、人員削減対象者のリストを提示するAIが波紋を呼ぶ様子が描かれました。AIの急激な発達を考えると、実際にこのような使われ方がされることもありえそうです。
しかし、もしAIが提示した通りに人員削減を行った結果、会社の業績がさらに悪化したり、倒産してしまったりしたらどうなるのでしょうか。「それはAIがやったことだから」と、AIに責任を取らせるなんてことはできません。AIが提示した案を実行に移す決定を下したのは人間です。
AIがどれだけ優秀であったとしても、事故が起きるなど何らかの不具合が生じてしまう可能性は常につきまといます。その際に「AIがやったことだから」で済まされるとしたら、とんでもない無責任社会です。AIに仕事の責任はとれないことを前提に、AIが提示した意見を採用する判断を下した人間や、AIが誤作動したのであればAIを作成した人間など、責任を取るという仕事は、必ず人間が行わなければなりません。
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