繰り返しになるが、上野動物園モノレールは日本初のモノレールである。となると、実験的な要素もたぶんにあると考えていい。当時は都電(東京都電車)の全盛期で、かつ太平洋戦争の終了から12年が経ち、戦争からの復興も進み、日本自体が経済成長しようとしていたタイミングだ。
そんな時代に、都市部の道路は混雑してきた。路面電車や路線バスへの影響も大きくなることが予想され、地下鉄の計画を少しずつ進めてきたものの、それほどでもない場所はどうするか? という課題が出てきた。
だが、地下鉄にせよ地上鉄道にせよ、2本のレールの上を走る鉄道には問題点があった。急勾配や急曲線に弱く、高架化にはお金がかかり、線路を引く際の自由度が低いことだ。
そこで注目を集めたのが、モノレールである。自由に路線を引くことができ、勾配や曲線もなんのその、高架線も比較的安い。そのあたりの実験的な意味合いもあり、上野動物園モノレールがつくられたといえる。
上野動物園モノレールは懸垂式でつくられ、1962年3月には跨座(こざ)式で犬山遊園駅から日本モンキーパーク内の動物園駅を結ぶ「モンキーパークモノレール線」(犬山モノレール)がつくられた。当時はモノレールが試行錯誤している時代だったといえる。60年代には各地にモノレールがつくられたが、多くは廃止されている。
上野動物園モノレールで実験し、他の地域でもモノレールを中量交通機関として実験的に建設。実際に使えるかどうかを試していたのだろう。多くは遊園地や動物園に関連するもので、試験的に導入するのに適していたといえる。当時は国内で技術開発をしたり、外国から技術を導入したり、さまざまなタイプのモノレールがあった。
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