昭和を疾走した「小さな」名車 ダイハツが送り出したヒーローたち(1/3 ページ)

» 2023年11月14日 17時42分 公開
[産経新聞]
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 物心ついたころ、洋品店を営んでいた筆者の実家には「ミゼット」があった。だから、中学、高校時代を大阪府池田市ですごした筆者は「人生の最後には、地元ダイハツの軽自動車に乗りたい」とずっと思っている。「ありがたい言葉です。ダイハツはこれからも池田市民の一人です」と広報室主任の丸山裕昭さん(46)。「ダイハツ」の名を世界に広めた「ミゼット」。いまも池田工場で手作りで生産されている憧れの軽スポーツカー「コペン」。懐かしのダイハツ車を見てみよう。

CMでブームに

 「ダイハツ」の名前を一躍、全国区にしたのは昭和32年に発売された軽三輪車「ミゼット」である。筆者より1歳年下。

 初期車はバーハンドル、幌(ほろ)製キャビン、キック式スターターで1人乗り。

初代の「ミゼット」は一人乗り。まだドアもなかった(ダイハツ工業提供)

 「実はミゼットに幌が付いたのには、ちょっとした逸話があるんですよ」

 丸山さんによると、31年夏のある雨の夜、ダイハツの販売会社の社長が大阪・梅田の街を歩いていると、目の前でビール瓶を満載していたスクーターが滑って横転。全てのビール瓶が割れた。

 「あぁ、幌さえ付いてたら…」。そんなディーラーの声が反映され、幌付き荷台のミゼットが生まれたという。

 筆者の実家にあったミゼットは、映画『ALWAYS続・三丁目の夕日』に登場し、暴れ狂うゴジラの攻撃を巧みにかわして疾走するあの型のミゼット。右の丸ハンドル、全鋼製キャビン、電動スターター、補助席付き。34年12月に売り出されたものだ。

 ミゼットは28年に開始されたテレビCMに乗ってブームを獲得した。きっかけとなったのが33年4月から朝日放送で始まった『ダイハツコメディー やりくりアパート』(毎週日曜日、午後6時半からの30分番組)。

 大阪の下町にあるアパート「なにわ荘」を舞台に、住人の学生たちや管理人一家が巻き起こすドタバタコメディー。出演は当時、人気があった大村崑、佐々十郎、茶川一郎、芦屋雁之助たち。番組の最後には大村と佐々掛け合いの生コマーシャル。

 「小回りがきく車」「ミゼット」「安い車」「ミゼット」「便利な車」「ミゼット」と崑ちゃんが両手を広げて「ミゼット」を連呼。インパクトのあるCMだった。

 「当時、ミゼットは“街のヘリコプター”といわれ、多い月には8500台も売れて、町にあふれかえったと聞いています」と丸山さん。

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