1957年にオープンしたPLランドでは、花見の頃に1万本の桜が咲き誇り、夏には2万人を収容するという関西最大規模の流れるプールが名物で、冬にはスケートリンクも開設していた。子どもたちが喜ぶ多くの乗りものがあり、温浴施設もあった。一大レジャーランドとして、市内に圧倒的な富と雇用をもたらしていたのだ。53年から開催していた「PL花火(教祖祭PL花火芸術)」も、日本屈指の巨大花火大会として人気を博した。しかし、コロナ禍で2020年に中止となって以来、開催されていない。再開は未定という。
野球の強豪校としても知名度が高い。春・夏を合わせて37回も甲子園に出場し、優勝7回、通算96勝を上げている超強豪校だった。
「KKコンビ」と呼ばれる、桑田真澄氏、清原和博氏はもちろん、現在の中日ドラゴンズの監督とヘッドコーチの立浪和義氏と片岡篤史氏、西武ライオンズの監督とヘッド兼打撃戦略コーチの松井稼頭央氏と平石洋介氏も、PL学園出身者と、OBたちの野球界での活躍は枚挙にいとまない。甲子園球場で披露する人文字と吹奏楽が融合した華やかな応援も、芸術的だった。ところが、近年は硬式野球部の生徒が集まらず、17年3月に大阪府高等学校野球連盟を脱退している。
PL教団は、高校以外にも教育機関を展開している。そもそもPL学園には幼稚園・小学校・中学校・高等学校・衛生看護専門学校がある。PL病院という総合病院を運営し、地域の医療も担っている。つまり、遊園地・花火大会・学校・病院など、富田林を本拠とする企業体として強烈な存在感を放っていた。
市の職員に電話でPLランドやPL学園の全盛時のことなどを話すと「そういう時代でしたね」としんみりとしてしまった。現在のPL教団は、3代目教祖の御木貴日止氏が20年に亡くなってから、4代目が決まらない状況にある。
宗教学者・作家の島田裕巳氏が15年2月16日付『アゴラ』に書いた記事によれば、1990年のPL教団の信者数は約181万人だったが、2012年には約94万人まで半減していた。率先して街ににぎわいをもたらしてきた人・団体の衰退も、金剛バス問題の遠因だろう。
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