人口も観光資源も十分なのになぜ? 大阪・金剛バスが路線廃止になった根深すぎる理由長浜淳之介のトレンドアンテナ(6/6 ページ)

» 2023年12月21日 05時00分 公開
[長浜淳之介ITmedia]
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歴史ファンの足も遠のき始めた

 河南町(一部太子町も含まれる)には、94年に開館した「大阪府立近つ飛鳥博物館」がある。これまで金剛バスが富田林駅・喜志駅から結んできた施設だ。古墳時代に特化して展示する日本でも稀な博物館で、歴史ファンに人気がある施設として知られる。世界的建築家の安藤忠雄氏が設計を手掛けたこともあり、話題性も高かった。一方、近年は来館者の減少に悩む。大阪府文化財センターがまとめた中期経営計画によれば、2012年の入館者数は約11万6000人だったところ、22年には約7万5000人まで減っていた。

安藤忠雄が設計を担当した大阪府立近つ飛鳥博物館(出所:同館公式Webサイト)

 大阪府に問い合わせてみると「行政が縦割りで、文化財と観光が別の担当になっていて、なかなか連携が取れない」と、有効な振興策が打ち出せないという。博物館から太子町にある聖徳太子廟、推古・用明・敏達・孝徳天皇陵へは、路線バスのアクセスがなく、クルマがないとセットで回りにくい。

 太子町に聞くと「博物館は駐車場以外が河南町にあるので」とよそごとのような口ぶりが印象に残った。太子町では、17年に日本遺産として指定された「日本最古の国道」竹内街道のPRに熱心で、太子町立竹内街道歴史資料館の方に来てほしいようだ。

「日本最古の国道」として知られる竹内街道(出所:太子町観光・まちづくり協会公式Webサイト)

 仁徳天皇陵などを含む、大阪府堺市・藤井寺市・羽曳野市の「百舌鳥・古市古墳群」は19年、大阪初となる世界遺産に指定されている。以来、古墳観光の中心は近つ飛鳥博物館から百舌鳥・古市に移った。余談だが、近つ飛鳥博物館における常設のハイライトは、仁徳天皇陵の150分の1サイズレプリカだ。

 このように金剛バス廃止の背景には、富田林市からPLランドやPL花火がなくなり、金剛山登山の連絡口が河内長野市に移ったこと。また、古墳観光の中心が近つ飛鳥博物館から、堺・藤井寺・羽曳野に移ったことなど、地域の衰退、近隣の都市間競争での敗北も関係している。

 路線バスでは他にも、北海道中央バスが札幌市内の減便・経路短縮・廃止を進めるなど、大都市圏も含め、全国で約8割の事業者が23年中に1路線以上の減便・廃止を行うことが帝国データバンクの調べで明らかになっている。

 路線バスの人手不足に加え、街の衰退が激しいと廃業すらあり得ることを、金剛バスが示した。明るい話題として、富田林駅南口にほど近い寺内町地区が、大阪府で唯一、1997年に国の重要伝統的建造物保群存地区に指定されている。江戸時代中期以降に建てられた豪商の町家が約40軒保存されているのだ。カフェや雑貨屋の開業が相次ぎ、徐々に観光の人気が高まっている。

寺内町は歴史的景観から人気が高まりつつある(撮影:筆者)
カフェ・雑貨店が増えたことで空き家が減り、にぎわいも出つつある(同前)

 埼玉県川越市は、かつて寂びれきっていた「蔵造りの町並み」を整備して、年間800万人弱が訪れる観光地へと変貌した。富田林も決して不可能ではないはずだ。路線バス復興のためには、地域の魅力を高めて「行ってみたい」「住んでみたい」と多くの人が思えるような街づくりが求められる。

21日からの代替バス「4市町村コミバス」のルート図(出所:富田林市市役所公式Webサイト)

著者プロフィール

長浜淳之介(ながはま・じゅんのすけ)

兵庫県出身。同志社大学法学部卒業。業界紙記者、ビジネス雑誌編集者を経て、角川春樹事務所編集者より1997年にフリーとなる。ビジネス、IT、飲食、流通、歴史、街歩き、サブカルなど多彩な方面で、執筆、編集を行っている。著書に『なぜ駅弁がスーパーで売れるのか?』(交通新聞社新書)など。


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