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パソナ「淡路島移転」はどうなった? 3人のシングルマザーが語った「仕事」「教育」「島民の気質」長浜淳之介のトレンドアンテナ(4/5 ページ)

» 2024年01月26日 05時00分 公開
[長浜淳之介ITmedia]

神楽坂から移住した執行役員の声

 現在淡路島で働くパソナグループ社員は、島内の雇用やU・Iターンで中途入社した人ばかりでなく、東京から移住した人が主流だ。パソナグループ執行役員経営企画部長の岡田智一氏は、20年9月に淡路島に移住した。

神楽坂から移住したパソナグループ執行役員の岡田氏

 現在は社員寮に暮らしているが、東京時代は新宿区・神楽坂に住んでいた。もともと世田谷区に住んでいたが、京王線とJR中央線の混雑が激しく、片道1時間の通勤を苦痛に感じ、オフィスに近い神楽坂に転居したという。しかし、家賃を抑えるために夫婦と娘の家族3人が住まうには狭い部屋を借りていた。淡路島では、住まいも広くなり、ゆったりと暮らせている。

 23年には、生まれも育ちも東京で、長らく都内で1人暮らしをしていた母も移住し、3世代で暮らしている。淡路島について何の知識もなかった母だが、22年に旅行で来て1週間を過ごすうちにすっかり魅了され、自ら望んで移ったという。

 淡路島に移住してからの岡田氏は、電車通勤のストレスがなくなり、海を眺めながらの通勤ドライブがむしろリフレッシュになっている。「この違いは大きい」と岡田氏は強調する。東京にいたころは、妻もパソナの社員だが子ども1人を育てるのが精一杯だった。しかし、淡路島に来て、2人目も考えるようになった。

岡田氏が勤務する「パソナグローバルハブスクエア」
オフィス内の様子

 東京では、平日に仕事を終えてから保育園に子どもを迎えに行き、土日で習いごとをさせる忙しいローテーションだった。淡路島に来てからは、平日に子どもを預かってくれるインターナショナルスクールやアフタースクールがあり、土日は家族でオフをのんびり過ごすようになった。

 「コロナ禍で娘は友達と交流できず、家と保育園を往復するだけ。公園に連れて行くと驚くほど混んでいて、遊ばせられる状況にありませんでした。自分自身も在宅勤務が多くなり、働き方を見直すようになりました」と岡田氏は当時の状況を語る。当時、商業施設もテーマパークも休業しており、家族で行く場所は公園くらいしかなかったのだ。それならばソーシャルディスタンスが自然と取れる、淡路島で生活を変えたいと考えた。

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