復活できなかったオーサムストア フライング タイガーとどこで差がついたのか長浜淳之介のトレンドアンテナ(2/5 ページ)

» 2024年02月27日 05時00分 公開
[長浜淳之介ITmedia]

“黒船来航”を機にオーサムストアを開発

 オーサムの歴史を振り返ってみよう。オーサム創業者の堀口康弘氏は、1955年、佐賀市生まれ。画家を目指して東京芸術大学を二度受験するが挫折。都内の公園で寝泊まりしながら、土木作業の肉体労働で50万円を貯めて、21歳で単身、米国・ロサンゼルスに渡った。

 ロサンゼルスでは治安の悪い地域のリカーショップで職を見つけて、4年間働いた。その後、永住権を取得するために、日本に帰国。一時帰国のつもりだったが「ビイハウス」という雑貨業界の社長と出会い、意気投合した。そこで、ビイハウスの食器を小売店に卸販売する会社「レプビイハウス」を82年に創業した。これがオーサムの起源となった。

 1社のみから仕入れて売ると経営が不安定になるため、次第に他社製品も扱って生活雑貨全般に業容を拡大。その後にビイハウスが倒産すると、社名をレプハウスに変更。98年に卸売から小売に転向した。同年には、千葉県松戸市に生活雑貨「オフノオン」1号店をオープン。世界中からこだわりの雑貨を輸入して販売したのが受けて、ヒットした。オフノオンはチェーン展開を進め、派生業態を含めると直営で60店超を展開していた。

閉店済みのオフノオン イオンモール都城駅前店(出所:同社公式X)
オフノオン イオンモール都城駅前店の内部(同前)

 2009年頃の表参道には、堀口氏が食器のみならず、内装や料理もプロデュースした「カフェテーブルテラス」という生活提案型の飲食店も出店し、自社の製品をどのように使ってほしいのか、実例を示した(既に閉店)。同店には食器を販売するコーナーも設けていた。

 14年4月には、東京・原宿にオーサムストア1号店となる原宿表参道店をオープン。ハンバーガーチェーン「ウェンディーズ」が日本再上陸した1号店の跡地だった。オーサムストアの開発は、12年にデンマークからフライング タイガーが上陸したことがきっかけとなった。

ウェンディーズ跡地にオープンしたオーサムストアの1号店(出所:プレスリリース)

 フライング タイガーは、大阪・心斎橋のアメリカ村に1号店をオープンするやいなや大行列となり、品切れを起こすほどの大反響を引き起こした。15年12月時点で24店へと店舗網を拡大すると、オフノオンを脅かす存在となり、勢いの差は、誰の目にも明らかとなった。

 「このままでは雑貨界の黒船に市場を奪われかねない」という危機感から、堀口氏は起死回生策としてオーサムストアの構想を練ったわけだ。企画から製造、販売までを垂直統合したSPA(製造小売業)業態として、雑貨界におけるユニクロのような立ち位置を目指した。

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